第77話 基地

文字数 1,847文字

ブレンダンは走馬灯を見た。死ぬ前の人が見るというあれである。
ジョンやコービン、知らない男の応急手当を受けながらまどろんだ後、彼の認識する視界が光に包まれ、走馬灯が始まった。
しかし、まだ若いブレンダンの走馬灯は、老いや病い、親兄弟や仲間の死、人生を左右する様な裏切りとは無縁で、可愛く美しく、稚拙さも若者らしく尊かった。

五歳頃の出来事から始まった走馬灯は、家族との旅行や学校のイベントを次々に映した。
直接、覚えていたのか、思い出した記憶を覚えているのか。順序は正確ではない。
ただ、程なくして、ブレンダンは、小学生の頃につくった秘密基地を、確かに見た。

その日は、クラスの誰かに勧められた古い映画のせいで、大人しいブレンダンのやる気に火がついた。
自宅から三キロメートル離れた湖まで自転車で行き、湖の周りを、木の枝を避け、靴を濡らしながら対岸まで歩くと、湖の管理用の小屋がある。
小屋は、湖の上にテラスがせり出す木造で、人が住めないことはない程度。
誰かがそこを使っているのは見たことがないが、誰もが存在だけ知っている。
そんな小屋である。

ブレンダンは、家から持ってきたドライバーで、扉のねじを外すと、迷わず小屋の中に入った。
蜘蛛の巣にかかった蛾が動いていたので、どこかに隙間がある。
水と湿気た木の香りが溢れ、波打つ水が畔に打付けられる音も聞こえる。
小屋の中にあるのは、すぐには使えそうにない湿気た薪と木製の椅子、救命用具、それに釣り竿。
管理用の小屋とは言うものの、時折、テラスに椅子を置いて釣りをする。
それが、その小屋の正しい使い方に思えた。

ブレンダンは、取敢えず木製の椅子を日向に持って行った。座面を乾かすのである。
乾くまでの間は釣り。
土を掘ってミミズを捕まえ、針のない釣り糸の先端に括り付ける。
あとはテラスに座って、湖に糸を垂らすだけ。
釣れないのは承知である。寧ろ、釣れたら困ってしまう。
何も釣れないままに、一時間程、暇を潰したブレンダンは、結果、天板の乾いた、座れる椅子を手に入れた。今日の唯一の収穫である。
ブレンダンは、椅子を小屋の真ん中に置くと、腰を掛けた。
地べたに座るのとは明らかに違う。そこは、彼だけのプライベートな空間。
来週には湿気ているだろう椅子の世話をした時点で、その小屋は彼の中で彼のものになったのである。

その後、ブレンダンは小屋を愛用した。
何もない日は、漫画やゲームを持って行き、小屋で過ごすのである。
そもそも、誰かがあの小屋を使っているのは見たことがない。
一人でいる分には平和そのものだったが、しかし、子供の彼が秘密を守るには限度があった。
数週後には、友人達の知るところとなったのである。

正確には誰と誰を呼んだのか覚えていないが、その日は噂を聞きつけた子供達で小屋はごった返した。
別にそこでする必要のないことをひたすら続けるだけで、皆はすっかり満足した。
はしゃいだのは〇〇〇〇ケビン
「皆の秘密基地にしよう。」
〇〇〇〇モローも黙っていない。
「俺だけのものだ。」
〇〇〇〇ポーリックも続いた。
「ルールをつくろう。俺が決める。」
〇〇〇〇だらけの子供達は、秘密基地を手に入れた興奮に騒ぎ立てが、やはり、親に決められた、帰るべき時間に家に帰った。

そして、翌日。ブレンダンは、学校でアウティオ先生に職員室に呼ばれた。
先生だらけの職員室の入口で止まると、明るい大きな声が響いた。
「こっちだ。こっち。」
笑顔のアウティオ先生である。
先生は、ブレンダンを自分の前に立たせた。
「ブレンダン。何で呼ばれたか分かるか。」
ブレンダンが沈黙をつくると、先生は厳しい顔をつくった。
「君がしていることは不法侵入だ。犯罪だ。」
この言葉は彼の胸に応えた。
まだ、小学生である。
先生は、大きい温かい両手でブレンダンの頬を包むと、ぐっと横に伸ばした。
「二度と行くなよ。」
ブレンダンは、本当に、二度と行くまいと心に決めた。

それから数日後。小屋は全焼した。湿気ていた筈なので、自然発火ではない。
誰かが放火したのである。

ブレンダンと同じ様に叱られた誰かが、火をつけたのだろうか。
それとも、誰かの親の仕業か。
妄想は廻ったが、彼の中で永遠の自問が生まれた。
自分が疑われはしないだろうか。
ブレンダンは、ベッドに入ると、毎晩、夢にうなされた。
全焼する小屋。
ただ、それだけである。
いつしか、彼の中で、実際は見ていない燃える小屋のイメージが、完全に出来上がった。
ブレンダンが走馬灯で見たのは、そのイメージの中の燃える小屋、燃える秘密基地だった。
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