第101話 成長

文字数 2,165文字

スカーレットは、ローデヴェイクのクローンを、ただ放っているわけではない。
存在すらトップ・シークレットの彼は、世間一般の教育を受けられないが、人間にとって、教育はすべてである。
スカーレットは、自分の思う、あるべき教育をローデヴェイクに施した。
問題は、脳が大人の大きさでも、学ぶ早さには限界があるということ。
スカーレットは、順序を選んで、ローデヴェイクを導いた。
最近、ローデヴェイクが習得したのは食事のマナー。
いつか誰かと食卓を囲む日のために、それは欠かせない。
どんな人生にも、絶対に必要なものである。
ローデヴェイクは、ゆっくりと、しかし、確かに人間として成長していた。

その意味で、その日のローデヴェイクは、今までの流れとは全く違う事を要求された。
VIPの訪問者との対話に備え、スカーレットがスーツを着させたのである。
付き添いは、男一人に女二人。研究員である。
ローデヴェイクの一挙手一投足を記録する。決して、意味がある様には思えないが、彼が無償で生活を続けるためには、報告書の提出が不可欠なのである。
ローデヴェイクは、今まで着たことのないスーツを、異常に嫌がった。
普段、気慣れたスウェットとの違いは明らかである。
スーツがいいものだという価値観がないと、着心地だけでスーツがスウェットに勝ることは、やはりあり得ないのである。

しかし、何事にも工夫をするのが研究員。
間もなく、女性研究員のローラが、スマートフォンを取出した。
「ねえ、ローデヴェイク。これを見て。」
彼女が見せたのは、スーツ姿の俳優の写真や動画。彼女の思う美の象徴である。
しかし、ローデヴェイクの反応は鈍い。
「じゃあ、これは?」
ローラが選んだのは、ランウェイを歩く男性モデルの動画。ローデヴェイクは、分かり易く顔を背けた。
「そんなの貴方しか見ないわ。」
スカーレットが笑顔で口を挟むと、研究室に笑顔が広がった。
スカーレットは、ただ待っているつもりはない。
「やっぱり美的な嗜好は後天的なものね。先天的なのは、違和感の拒絶ぐらいよ。やってる事が凄くないと、絶対に通じないわ。」
頷いたローラが、最初に見せようとしたのは手品。しかし、スーツが悪趣味だったので、スカーレットは却下した。
アクション映画も、スーツが無事でいることは少ないので同じ。却下である。
最終的に、スカーレットがゴー・サインを出し、ローデヴェイクが受け入れたのは、男女のダンス・シーン。
今までも、音楽を聞かせると、ローデヴェイクはよく歌い、踊った。
彼は、ダンスが好きなのである。
ローデヴェイクは、モニターに映されるダンスの動画に釘付けになった。

「私、あれが見たいです。」
口を開いたのはローラ。
彼女が希望したのは、スーツの格好良さとは無縁だが、ダンス・シーンの有名なある映画。
シニカルな恋愛コメディで、全編、人間臭いドタバタが続いた最後に、不意に夢の様なダンスが始まる。
女優は、エスコートするひ弱な男が緩やかに手を伸ばすと、大きく宙を舞うのである。
スカーレットは、ローラの提案を思わず許した。
彼女も好きな映画だったのである。

間もなく、ローデヴェイクは、そのダンス・シーンを目にした。
部屋にいた皆が、素敵な気持ちに包まれていく。
ロマンスの分かる筈のないローデヴェイクは、ダンス自体を気に入ったのか、同じ動画を繰返し見た。
何度も、何度も。何度も、何度も。
さすがに無駄を感じたスカーレットは、優しい声で語り掛けた。
「もう他の動画にしましょう。もっと気に入るのがあるかもしれないわ。」
表情の曇ったローデヴェイクは、ローラの手を取った。
踊りたがっていると考えるのが、常識である。口を開いたのはスカーレット。
「踊りたいの?」
「はい。そうです。」
ローデヴェイクの答えは早い。
スカーレットは、小さく頷いた。彼の細やかな願いは、叶えられる範囲のそれである。
「ちょっと、待って。皆、片付けましょう。」
計器を外せば、踊りに必要なスペースぐらいは出来る。
二分で作業を終えると、スカーレットはローラに声をかけた。
「ローラ。ローデヴェイクと踊ってあげて。」
ローラは、微笑んだ。
ローデヴェイクが手を差出す。そして、ローラが応える。
きっと、これは彼の成長の証し。
教科書には書いていない、大事な一歩なのである。
スカーレットは、ローデヴェイクの成長を心の中で祝った。それは他の皆も同じ。
皆の顔が温かい微笑みに包まれ、一見、お似合いの二人を見守った。

動画が始まったのは、それから間もなく。
ローデヴェイクは、音楽に合わせて軽やかに体を動かすと、ローラの手を握り締め、力強く放り投げた。
そう、まさに投げた。
ローラの体は宙に浮き気味になったが、映画を再現することなく、真っ直ぐに壁に叩きつけられた。
皆の絶叫が室内に響き渡ると、ローデヴェイクも奇声を上げた。
「大丈夫、ローラ!」
研究員達が駆け寄ると、ローラはゆっくりと体を起こした。
血は見えないが、動かない。痛みのせいで間違いない。
「診療室に行こう。」
研究員達がローラを介抱する中、しかし、スカーレットは、立尽すローデヴェイクに近付いた。ローデヴェイクは、怯えているのである。
やはり、ローデヴェイクは怖い。
気を抜いてはいけない。
絶対にである。
スカーレットは、ローデヴェイクを優しく椅子に誘導すると、静かに計器をつないだ。
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