第41話 反省

文字数 1,311文字

広場で泣いていたエマは、間もなく殺人容疑で警察に身柄を拘束された。
容疑も何も、相手が死んだことは、誰よりもエマが分かっている。
いかなる理由があろうとも、人の命を奪うことは許されない。
それが、つい一昨日まで戦場にいた人間であったとしても、殺人犯を逃がさないためだったとしても、同じことなのである。
涙の止まらないエマは、衆人環視の中、背を押されるままに、パトカーに乗り込んだ。

エマが通されたのは、空調の効いた独房。
居心地は悪くない。いつの間にか、涙が止まったのは、彼女の才能かもしれない。
固いベッドに腰を下ろしたエマは、部屋の片隅を眺めた。
何を見つけた訳ではない。
反省か、自己嫌悪か。とにかく、猛烈な感情の波が押し寄せたのである。
確かにボウイ・ナイフを投げたのは失敗だった。
どう考えても正当防衛にはならない。
だが、人殺しが待つ離れたビルに、無策に飛び移る人間はいない。自殺行為である。
ナイフを投げたのは必然だが、成功する確率は一か八か。
何なら、奇跡的に刺さったと考えるのが常識。
故死である。
解剖の結果、仮に彼の死因が脳挫傷なら、エマが被害を受けた時の傷。
これは正当防衛。
エマが無罪放免になるためには、この線しかない。
ただ、陪審員の気持ちはどうなのか。
運転席の男の足を折ったのは、誰の目にも行き過ぎ。
思い付きでやったのだが、あの瞬間、周囲にいた野次馬は、ヨシュアの事件を見ていない。
おそらく、エマの暴力が、彼らの人生で出会った最大級の暴力。
証言台で彼らが感じたままに話せば、エマの量刑が劇的に重くなることは目に見えている。
人の命を救うために爆弾処理に人生をかけてきた自分がまさか。そのまさかである。
思ってみても今更。
父さんはいい弁護士をつけてくれるのか。
ひょっとして勘当されるのか。
母さんは悲しむだろう。
だんだん悲しくなってきたエマは、静かに涙の筋をつくった。
独房には、彼女を慰める友もいない。
涙を流し続け、鼻を何度かすすったエマは、いつしか嗚咽を漏らし始めた。
実刑や家族が不安になったのではない。
涙が、ヨシュアの記憶を呼び起こしたのである。
自分のことばかりで泣いて、死んだヨシュアに悪い。
エマの細い涙は、瞬く間に大粒の涙に替わった。それは、ヨシュアの死を嘆いた時と同じ涙。
可哀そうなヨシュア。
死んだばかりで、もう忘れられている。
慟哭するエマに、心配した警官も姿を見せた。監視カメラからでも、彼女の気持ちが伝わったのである。
「医者を呼ぼうか。」
誠実な言葉に、エマは、顔の涙を手で拭いた。
「OK。ありがとう。大丈夫。私の方が医者より詳しいわ。」
無駄口を叩く間も流れ落ちる涙を、エマは繰返し拭い、可愛い笑顔を浮かべた。

泣いたのは、それから三十分ぐらい。
疲れたエマは、やがて、ごく自然に部屋の一角を見つめると、動きを止めた。
今日の夜は、寝られるだろうか。
涙が止まり、心に余裕が出たエマは、もう次の心配を始めたのである。それも彼女の才能。
ただ、エマは、そう長く拘留されることはなかった。
ヨシュアの関係者が雇ったという弁護士が現れたのである。
言われるままに書類にサインをすると、事件を起こしたその日のうちに、エマは魔法の様に留置所を出た。
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