第30話 証言

文字数 5,155文字

A国U州B市。
無事、自宅のある町に戻ったアイクは、その日暮らしの毎日を送っていた。
彼があの部屋で、自分の仕事を会社員と言ったのは嘘である。
元々、生活が破綻していた彼にとっては、監禁から解放された時点でもう日常。会えない間に、何がどうなったか気になる相手は、一人もいない。孤独な彼の社会復帰に、準備期間は一切要らなかったのである。
仕事が上手くいこうがいくまいが、健康な人間は恋をする。
監禁される前のアイクの場合、その相手はエミリーだった。一目ぼれである。
アイクの仕事は運送業のアルバイト。
幼い頃から、女性に求められることに慣れていた綺麗なアイクは、配達の途中、道を聞いたエミリーに運命らしきものを感じると、自分と愛し合う栄光を分け与えようとした。
女性と付き合っては別れ、友人や家族に悲しい気持ちを振りまき、敵を増やし続けた挙句、一人で生まれた街を出た彼とである。
エミリーを探し続けたアイクは、間もなくピウス家に辿り着いた。
夫と幼い子供の存在は無視できない。
すべてを知ったアイクは、まだ、エミリーは人生をやり直せると思った。
彼はそういう人間。自己中心的。
家に押しかけ、ヘクトルと揉めた末に警察に通報され、ピウス家とエミリーに近付けなくなったのは、アイクなのである。
それは、監禁生活から抜け出したアイクが警察に行く気になれなかった理由の一つ。
勿論、最大の理由は、ブレンダンの一件。アイクの記憶の中の彼は心臓が止まったままなのである。
しかし、それもこれも、すべてはエミリーのせい。あの部屋で語り合った限り、彼女は自分を監禁した犯罪者の一味で違いない。
アイクの胸をかき乱したエミリーは、思い出すだけで虫唾が走る程、憎い相手になったのである。

その日、いつもの様に職業安定所に向かうため、何となく家を出たアイクは、パトカーから姿を現した市警察の二人に、身柄を拘束された。ニコーラの一件で、ヒュドール・リサーチ&エンジニアリングの態度が百八十度変わったのである。
監視映像を手にした連邦捜査局がアイクを手配するまでに、大した時間は要らない。毎日、自宅の周りをうろつくアイクが、捕まらない筈がないのである。
まもなく周知された身柄確保の第一報に、ロレンツォはビクトリアを呼び出し、ビクトリアはそれに応えた。
アイクとエミリーの再会である。

市警察の受付に集まったのはアーサー夫婦とヘクトル。
遅れて現れたのは、スカーレットである。
「呼んでくれて、ありがとう。」
ホリゾン・ブルーのスーツに身を包んだスカーレットは、手を広げながら三人に近寄ってきた。主役の登場の様にも見える。
笑ったのはアーサー。
「声をかけたら、来るもんだね。」
スカーレットが微笑むと、ヘクトルが続いた。
「僕は、ビクトリアが心配だから来たんだ。君は?」
「あなた達が揃う機会が見逃せないだけよ。」
笑顔のままのスカーレットは、ビクトリアと微笑み合った。口を開いたのはアーサー。
「この間のあれは?」
勿論、ニコーラのことである。施設と縁のあるスカーレットなら、何かを知っていそう。
自分の役割を知るスカーレットが軽く首を傾げると、ビクトリアも合せて、首を傾げた。知りたいのである。
ヘクトルもスカーレットを見つめたその時、しかし、四人の前に現れたのはロレンツォ。
ジャケットを整えながら現れた彼は、この間とはまったくの別人だった。
ロレンツォは、ニコーラの悲劇を共有した四人との他人の壁を壊したのである。
「マテウスはどこ?」
笑顔のロレンツォに答えたのはヘクトル。
「託児所だよ。警察はちょっと。」
分かっているロレンツォは、笑顔で手を挙げると、アーサーを無言で指さし、ビクトリアの腰に手を添えた。
「彼女を借りるよ。」
振返ったロレンツォの笑顔は爽やか。ロレンツォは、事件の解決を目と鼻の先に控えているのである。

ロレンツォは、ビクトリアを取調室までエスコートした。グッド・ルッキングの彼に打ってつけの役割である。一人で座っていたアイクへの笑顔の挨拶も忘れない。
そんなご機嫌のロレンツォが、ビクトリアを威嚇するアイクの目に気付いたのは、互いを紹介した五秒後。
自分の問いかけに答える間に、ビクトリアへの悪態を放り込むのに気付いたのは二分後。
そして、三分後のアイク。
「この〇〇〇〇が俺の人生に割り込んでくるから、全部が☆☆☆☆だ!△△△△!△△△△!△△△△!××××!××××!××××!てめえの◇◇◇◇に、◎◎◎◎が□□□□だ!!」
別に珍しくはないビクトリアは表情を変えなかったが、ロレンツォは彼女を知らない。
一般の女性に対して、常軌を逸した態度である。
ビクトリアを横目で見たロレンツォは、静かに口を開いた。
「悪い。僕が間違えた。本当に申し訳ない。ちょっと、出ててくれるかな。」
アイクを眺めていたビクトリアは、ロレンツォの顔の向きが変わらないのを感じると、何も言わずに立ち上がった。それが一番であることを、彼女は分かっているのである。
ドア・クローザーはきつめ。
ビクトリアが部屋を出た後、扉がゆっくりと閉まるのを待つと、ロレンツォはアイクを見つめた。目は冷めている。
「今から僕が気に入らないことを言ったら、指を一本ずつ潰す。」
アイクの視線の先は壁。指先で机を軽く突いているのは、何かの拍子を刻んでいるから。自分の余裕を教えたいのである。
アイクをしばらく見つめたロレンツォは、ポケットから万年筆を取り出した。
アイクを見つめたまま、ゆっくりとキャップを外す。ねじ山の擦れる音が、アイクの指の音に混ざる。
静かな時間である。
ペン先を出したロレンツォは、軽く万年筆を揺らした。
それでもアイクはロレンツォを見ない。完全無視。好ましくない態度である。
ロレンツォは、素早く身を乗り出した。静と動。
驚いたアイクが仰け反っても、間に合わない。
ロレンツォは、音を奏でていたアイクの左手首を握った。
「何だよ!」
叫んだのはアイク。
驚いて当然だが、彼はロレンツォのルールを破った。
アイクは何も喋っていないが、態度で喋った。気に入らないことを喋ったアイクは、指を潰されないといけないのである。
ロレンツォは、怯えるアイクが思わず握りしめた左の拳を机に叩きつけた。
「止めろ!止めろって!」
アイクが怒鳴っても、ロレンツォは止めない。繰り返し、繰り返し、拳を机に叩きつける。関節の痛みに、アイクの掌も広がっていく。ロレンツォは、アイクの人差し指と中指をまとめて握った。
狙い通りである。
「何だよ!何だよ!何だよ!」
アイクは、助けを求めて、監視カメラを探し、そして扉を見た。ビクトリアの後姿がまだ目に新しい扉である。
ロレンツォは、アイクの人差し指の爪の下にペン先をあてがった。
「監禁した犯人の特徴と方法。監禁中に何があったか。原因に思い当たることがないか。」
「何だよ!話が聞きたいだけなら、こんなことしなくていいだろ!」
アイクが幾ら怒鳴っても、ロレンツォには関係ない。
「監禁した犯人の特徴と方法。監禁中に何があったか。原因に思い当たることがないか。」
本当に、繰り返しである。
取敢えず、アイクが求めたものは自由。
「分かった。分かったから、まずは指を離してくれ。」
ロレンツォに譲る気は一切ない。指を握る力は、逆に強くなる。
「言ったろ。今から僕が気に入らないことを言ったら、指を一本ずつ潰すって。」
「待て。待てって。それ、謝るのも駄目って。それは無茶だって。何だよ。それはないって…。」
アイクがごね続けると、ロレンツォは静かに口を開いた。
「監禁した犯人の特徴と方法。監禁中に何があったか。原因に思い当たることがないか。」
三度目である。
アイクは、ロレンツォの目を見ると、静かに何度か頷いた。
「OK。分かった。言うよ。喋るよ。」
ロレンツォに動きはない。アイクは、自分のやるべきことに気付いた。
「逃げる前に男が来た。あいつは怪しいと思う。」
それが、ロレンツォの求めたことである。ロレンツォは、静かに指を離し、アイクは自由を勝ち取った。
まずは、精神病院で見た男、ロレンツォがジョンと呼んでも反応しない男から聞いた話と同じである。
スマートフォンを取出したロレンツォが見せたのは、ラファエル・クレメンスの写真。
三十年前の雑誌の表紙である。スカーレットの情報から、クローン絡みならこの男と目星をつけたのである。
「この男か?」
アイクは頷いた。喋るのはロレンツォ。
「本当に?今はどんな感じだ?」
アイクの記憶力は、決して悪くない。
「そのまんまだ。一度しか会ってないが、ブレンダンを助ける間、ずっと見てたんだ。何も変わらない。」
「ブレンダンとは?」
「ブレンダン・スター。会社員だって言ってた。あいつは今どうしてる?」
ロレンツォは顔を横に振った。気にはなるが、本題も放っておけない。
「ラファエルはもう八十歳だ。本当にこのままだったのか?」
「歩き方も、そんな年寄りには見えなかったぜ。」
ロレンツォの経験に照らして、アイクに嘘をついている様子はない。
自分が何も分かっていないことに気付いたロレンツォは、小さく顎を上げた。
「説明してみてくれ。」
従順なアイクは、言われるままに記憶を辿った。
「俺の他に三人いたが、皆、睡眠薬で眠らされて、あそこに連れてこられたと言ってた。」
「君は?」
「俺も同じだ。」
「監禁中には何を?」
「何も。」
「何も?」
「毎日、飯が出て、音楽を聴いて、寝るだけだ。」
「風呂とトイレは?」
「部屋にあったから自由だった。」
「服は?」
「監禁された時に着てたのと同じものを配られて、出しておくと、クリーニングしてくれた。」
「外の情報は?」
「テレビが見れた。新聞も雑誌もあった。」
「運動は?」
アイクは顔を横に振った。喋るのはロレンツォ。
「他には?」
「他の奴らはよく話してたが、俺は合わなかった。趣味が全く違った。」
「何か、変わったことは?」
「ライン・ダンスをするフラミンゴに襲われるCGを見せられた。多分、その筈だ。」
ロレンツォは、ジョンを思い出して、小さく後悔した。まだまだ、質問は終われない。
「ブラック・ドットは?」
アイクは、眉間に皺を浮かべた。
「あれか。そう呼ぶのか?」
ロレンツォは顔を横に振った。
「僕らはね。君は何を知ってる。」
「コービンが消えた。」
「コービンとは?」
「コービン・キャッシュ。技師だって言ってた。一緒にいたあと一人は教師で、ジョン・インガーソル。こいつは大丈夫だった筈だ。」
「どういう状況?」
「三人で逃げたんだ。コービンは先頭を走って、俺達の目の前で消えた。」
「君達は消えなかったんだろう。何かを持ってたとか、体に何かを埋込まれたとか、思い当たることは?」
「何も。奴は肌着で逃げたんで、どうするのかと思ったぐらいで。」
「他には?」
「他は…。」
「コービンが消えたのは、部屋の中央で、君達は壁沿いを逃げたんじゃないのか。」
「何で分かる。」
ロレンツォの返事が遅れると、アイクは言葉を続けた。
「そうだ。そうだぜ。俺はそうした。ジョンは、コービンが消えるのを見たから、突っ込みはしなかったと思う。」
ロレンツォは、小さく何度か頷いた。
アイクの話は、事実と考えていい。ロレンツォは、スマートフォンをタップした。
「君が監禁されていた施設は、この写真の建物で間違いないか?」
ヒュドール・リサーチ&エンジニアリングのPR動画である。
空撮の全景から、いくつも並ぶ研究棟が次々に横切る。
確実な証言がほしかったロレンツォが、予め準備していたコンテンツである。
静かに見入ったアイクは、途中で頷き、ロレンツォの顔に目を戻すと、また、大きく頷いた。
十分である。
スマートフォンを閉まったロレンツォは、質問を続けた。
「監禁の原因に思い当たることは?」
これまで従順だったアイクの顔に、一瞬で怒りが戻ってきた。
「あの女だ。」
「誰?」
「さっきの。エミリーの筈だ。ただ、他の奴もいろんな名前で呼んでた。呼び名は五つだ。」
アイクはエミリーの死を知らない様だが、教える理由はない。
ロレンツォは質問を続けた。
「別人では?」
暴力から逃げたい筈のアイクは、それでも声に苛立ちを混ぜた。
「じゃあ、同じ顔の女が五人いて、それぞれで監禁して、同じ部屋に入れたんだろうな。」
我慢しきれなかったのである。
ロレンツォは、アイクを静かに見つめて、口を開いた。
「君の話は参考になる。今から、調書をつくる。もう一度、最初からいこうか。」
呆れたアイクが天を仰いでも、ロレンツォには関係ない。
今日のロレンツォの大きな成果。
アイクは、ヒュドール・リサーチ&エンジニアリングで監禁されていた。
あの会社がどんなに警察に協力しようと、その事実は変わらない。
ブラック・ドットだけでも異次元。
あの敷地には、至る所に狂気が潜んでいるのである。
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