第47話 突破

文字数 2,443文字

思わぬ休暇を手にしたニコーラは、記憶をなくしている間の自分を徹底的に疑うことにした。
すべての扉を開き、引き出しを開け、中のものを出し、蓋を開け、頁を捲る。片付けは後。
書斎が済めばリビング、リビングが済めば台所。
一人ぼっちのローラー作戦である。
二時間後、痛み止めで頭のぼやけるニコーラは、次の選択をした。何も見つかっていないからである。
ニコーラは、家具を大きく押した。目的は、とにかく全てを動かすこと。
力を入れて痛むのは左足だけではない。一番怖いのは立眩み。脳内出血の確かな兆候。
抵抗を弱める工夫が必要である。
角度や力の入れ方、揺らし方。方法は一つではない。
やがて、体と相談しながら、部屋のあらゆるかたちを変えたニコーラは、次の行動に出た。勿論、何も見つかっていないから。
ニコーラは、しゃがみ込むと、壁の足元を見つめた。巾木である。
継ぎ目を押すと、凹みが出来る。
覚悟の出来ているニコーラは、迷わずに巾木を捲った。
そして、壁紙。かつて、彼自身が貼ったもので、下地にボードがあることも知っている。
何かを隠して張り替えることも出来なくはない。
ニコーラが壁紙の端を引っ張ると、紙は無秩序に破れた。
ニコーラの仕事が丁寧だったということ。これでは、永遠に作業は終わらない。
ニコーラは、工具箱でハンマーを見つけると、壁を叩いた。
ボードを砕くのである。
二度、三度。穴が開けば、手を入れ剥す。その繰返し。
ニコーラの部屋は、みるみる壊れていった。

玄関のチャイムが鳴ったのはその時。
ニコーラは、インターカムのモニターで、不意の訪問者がケリーであることを知った。
部屋の惨状は知られたくないが、家を留守にしていることはあり得ない。
ニコーラは、正気を失いつつある顔を両手でこすり、表情をつくり直した。
覚悟を決めたのである。
玄関まで揺れたニコーラは、インターカムに出ることなく、扉を開けた。
「何か用か?」
「来られたら困る?」
「来てどうする?」
「一人でどうしてたの?」
面倒になったニコーラが扉を開くと、ケリーは家の中を覗き込んだ。
廃墟である。
「入っていい?」
ニコーラは小さく笑った。この状況を見て、部屋に入ろうとする人間はいない。
「どうぞ。座れると思うところがあったら、どこでも座って。」
ケリーは、ニコーラを避けて、部屋に踏み込むと足を止め、まずは部屋を一望した。
彼女が気にしたのは、動いた棚。
近寄ったケリーは、背後のボードを一瞥した。当然、破壊済みである。
眉間に皺を寄せたケリーは、別の部屋も見た。
状況は似た様なもの。
ケリーは、やっと振り返り、口を開いた。
「ニコーラ。あなたが心配よ。」
ケリーは、ニコーラの目をじっと見つめている。
「何かあったら、迷わず一番に私に連絡して。他はダメよ。私なら、絶対に力になれるから、私に電話するの。」
ニコーラは微笑んだ。
バディなので、そのつもりはあったが、直接言われると照れ臭いものである。
しかし、顔の筋肉を動かしたニコーラは、顔の奥深くで、知らない筋が痛むのを知った。
掴まれた様。
目の前が暗くなる。
ケリーが駆寄るまでもなく、ニコーラは、片手で頭を押さえながら、その場にうずくまった。
立ち眩み。
ケリーは、ゆっくりと壊れたニコーラに近付いた。
「大丈夫?」
「少なくとも、大丈夫じゃない。」
ニコーラは、痛みの混ざる笑みを浮かべた。
「分かるだろう。今は、君が帰ってくれるのが一番助かる。」
ケリーは、ニコーラを見つめたまま、沈黙を守った。
ニコーラが、新しい痛みの波で顔を歪めると、ケリーは眉間に皺を増やした。
「分かったわ。ごめんなさい。私が勝手だったみたいね。」
俯いて待つニコーラを見ると、ケリーは言葉を続けた。
「たまたま寄っただけよ。管理官からも、そう頼まれてるの。顔を出す様にって。」
ニコーラは、顔に皺を浮かべた。
「じゃあ、管理官の仕業か。〇〇〇〇!」
ケリーは、小さく微笑んだ。
「そんな事言わないで。それじゃあ、また。あまり悩まないで、相談して。」
「そんな事ばっかり言うし、またの機会はない方がいい。僕は悩んでなんかないから、相談する必要もない。」
ケリーは素直ではないバディを見つめると、間もなく部屋を後にした。
ニコーラは、窓から外を見ていたが、外に出たケリーは二階を振返り、目が合った。
彼女は、本当にニコーラを気にかけているのである。
ニコーラは、記憶のない間の出来事が気になって、気になって仕方がなくなった。
頭を使えば、頭は痛くなる。
必然である。

ニコーラは洗面所まで揺れながら進むと、傷口を避け、頭を水で冷やした。
配管が詰まっているのか、洗面台から水が抜けきらないうちに、ニコーラは、その場にしゃがみ込んだ。立っていられない程痛い。頭が壊れそう。いや、壊れているのである。
僅かに水の散るに腰を下ろしたニコーラは、ひとまずその場で痛みが治まるのを待つことにした。
視界には、洗面台の下の戸棚。普段、見ない角度である。
何気なく見つめていたニコーラは、不意にその棚を開けた。
当然、配管のトラップがある。
ニコーラは、また、何かに取憑かれた様にナットを回し、こぼれる水に構うことなく、トラップ部分の配管を外した。
ニコーラは、そこに何かがあると思ったのである。
中を覗き込んだニコーラが見た物。
それは、厳重にラップされたスマート・メディア。
ユリイカである。

ニコーラは、スマート・メディアを慎重に開封した。
露になったスマート・メディアをリーダーに入れ、ノートPCで内容を確認する。
映し出されたものは、何かの一覧表である。
日付、管理番号と製品名称、製品番号の一覧。
ニコーラの支部局の書類番号も欄外に入っている。
ざっと見る限り、製品に銃や車両がかなりの数含まれている。
種類的に、連邦捜査局の押収品リストで間違いない。
今ならまだケリーが家の近くにいるかもしれない。
そう思った時、しかし、またニコーラは、暗闇の中に崩れ落ちた。
自分は、この世界の住人ではないのかもしれない。
ニコーラの脳は、不安定な状態だったのである。
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