第45話 舞踏

文字数 3,091文字

某国某所。その日、ステファヌスとローデヴェイクは、開店前の新しいパブに来ていた。
コマーシャルに起用したショーン・クレメンスのおねだりに応えて、ステファヌスが贈ったものである。
パブの中央を占めるバー・カウンターに並ぶ酒の種類は豊富。ここで働くバーテンダーにとっては、災難かもしれない。
そして、店の奥には、ライトが当たる小さなステージ。
ショーンが本当に欲しかったのは、これである。
立っているのは、タップ・シューズにスウェット姿のショーン一人。当然、客はいない。
ステファヌスとローデヴェイクが、ブラックの椅子を一脚ずつ動かし、好きに座っているだけである。
間もなく、ショーンは、ロレンツォ・コリンズのルーティンを一番から始めた。
ステージを見ながら口を開いたのはローデヴェイク。
「教えてほしいことがあります。」
ステファヌスは、ローデヴェイクの方に少しだけ首を傾けた。
「先日、B銀行のネルソン会長とお会いした時、R国の首脳が国外に退去される日について、お話しされました。その日にG国がR国に侵攻して大敗し、二日後に休戦しています。」
後半は、誰もが知る事実である。ステファヌスが小さく頷くと、ローデヴェイクは言葉を続けた。
「これは偶然ですか。」
ステファヌスは、暫くショーンを眺めてから、何度か頷いた。自分の中で答えが見つかったのである。
「大国の戦争はいつもそんなものだ。常に被害者で、正義の戦いになる。」
しかし、抽象的。十分ではない。
「これから、B銀行との契約をご指示通り全て解約します。三十年間付き合いのあった世界有数の大銀行です。今度は何が起きるのですか。」
ステファヌスは、今度は、ローデヴェイクの方に足を向けた。顔の距離も近くなったかもしれない。
「私が、戦争を仕掛けた下品な銀行から、大切なお金を引くだけだと思えないか。」
ショーンのルーティンは続く。
ローデヴェイクには、ステファヌスの考えている事は当然分かっている。本当に分からない訳ではない。異を唱えているのである。
「G国のパイプ・ラインは、一部だけR国に占有された状態で止まっていますから、西側の支援が得られれば、G国はすぐ動くに決まっています。B銀行もパイプ・ライン開発で大金をこげつかせていますから、あなたの支援があると思えば、動くに決まっています。彼らは、R国とどの状態で停戦するかを問題にしたのでしょうが、何人かの人が死ぬべくして死にました。コップをわざと倒して、水をこぼした様なものです。」
ステファヌスの顔に驚きの色が浮かんだ。
「私が支援するとは?」
彼が引っ掛かる所は、常に人と違う。ローデヴェイクは、説明を尽くした。
「他に、R国の首脳がいなくなる日を話す理由が浮かびません。」
ステファヌスは、表情を変えないままに店内を見回した。
二人以外には、ショーンが踊っているだけ。
ステファヌスは、やがて小さく頷いた。
「彼らは毎年何日か、揃って国を完全に空ける。」
それを知るローデヴェイクが、否定する理由はない。
「誘っているんだ。皆、知ってる。昔から変わらない。バランスを変えるため。私は皆が知っていることが、またあると言っただけだ。ネルソンも同じ気持ちだろう。」
ステファヌスが沈黙を選ぶと、ローデヴェイクは質問を繰返した。
「B銀行から手を引くと、今度は何が起きるのですか。」
ショーンを眺めていたステファヌスは、しかし、静かにローデヴェイクの顔を見据えた。
年老いた彼だが、嬉しそう。何かを思いついたのである。
「こうしよう。君がショーンに合わせて、ローラを最後まで踊り切れたら話そう。」
ステージ上のショーンは足を止めて笑い、片手で手招きをした。聞こえているのである。
ローデヴェイクは、小さく微笑んだ。断る理由はない。
タップ・シューズは、最初から履いている。元々、今日はそのために来たのである。
ローデヴェイクは、思い出す様にステージに上がった。
揺れるショーンがゆっくりとペースを決めると、ローデヴェイクも足を上げる。
ダンスの始まりである。
ステファヌスは、それだけで笑った。
タップを馬鹿にしているわけではないが、真面目なローデヴェイクがおどけて見えるのが愉快なのである。
三分にも満たない間だが、ローデヴェイクは苦笑いと真剣な表情を繰返した。
ショーンのペースは変幻自在。彼はステファヌスの味方である。
時にローデヴェイクの顔を覗き込むショーンに、この勝負の価値が分かっている可能性は低い。
それでも、何とか乗り切るのが彼。
ローデヴェイクは、かたちだけでも、ショーンと一緒にローラを踊り切った。
タップの音が消えて生まれた、吐息だけの時間を消したのは、ステファヌスの大きな拍手。
上機嫌である。
「出来るもんだ。」
「ありがとうございます。」
ローデヴェイクが礼を言うと、笑顔のショーンが軽くその背を叩いた。
ステファヌスは、ゆっくり立ち上がると、手招きで二人をステージから降ろした。
彼の出番。ステファヌスもまた、タップ・シューズを履いているのである。
ローデヴェイクとショーンが拍手をすると、ステファヌスは両手で二人を制した。
「やっていることは、極めて単純だ。」
ゆっくりとヒールをステージに打付ける。
「私が銀行から金をひく。」
更にゆっくりとマキシー・フォード。
「メディアが、銀行の戦争関与を暴く。」
そして、リフ・ウォーク。
「銀行の利用者が、悪徳銀行の経営難を知り、一斉に資金を引出し、銀行の経営が破綻する。」
パドル・アンド・ロール。
「ただ、それは皆に見えることだ。」
ステファヌスは一度タップを止め、何かを考えた後、ワルツ・クロッグを始めた。
「私は、早い段階で大金を引出す情報通。その人間がどこにいるかを知りたい。」
ワルツ・クロッグは続く。
「B銀行を私が選んだ理由は知っているか?」
ローデヴェイクは、顔を横に振った。
ステファヌスは、ワルツ・クロッグでじらした。
「ヒュドールのホワイトのメイン・バンクだからだ。あいつはいい奴だが、何をするか分からない怖さがあった。だから、昔、保険をかけたんだ。ある程度の金は、あいつと同じ銀行に預けておこうと。」
ショーンは、視線を逸らした。近寄ってはいけない話が始まったのである。
「直にサミュエルの拠点が分かるだろう。」
ステファヌスは、ワルツ・クロッグから何に展開するでもなく、不意にダンスを終えた。
見る者に与えたのは、裏切ったイメージ。
どっちでもよくなったのか、狙いだったのか。
自由なステファヌスは、ハンカチーフでにじんだ汗を拭いた。逆に香水の香りが広がる。
「何ヶ所かは分からないが、情報が何もないよりはマシだ。」
B銀行は、そんな事のために潰していい銀行ではない。
ただ、B銀行の価値はステファヌスにも分かっている筈。
彼の中のバランスが、今のローデヴェイクとは違う。そういう事である。
ステファヌスが何かを変える事は期待できない。
目を瞑ったローデヴェイクは、二十秒で気持ちを整えた。
恭順あるのみである。
間もなく、ショーンが、ロック・アイスでグラスを鳴らすと、部屋に和やかな空気が戻ってきた。
ライム入りの炭酸水は、ステファヌスの好物である。
のどを潤したステファヌスは、ライムの産地と仕入れ先をショーンに尋ねた。
平和な会話に困る三人ではない。
少しの歓談で、自分が与えたすべての説明を聞いたステファヌスは、ローデヴェイクを連れて店を出た。待っているのはスピリット・オブ・エクスタシー。ステファヌスの愛車のエンブレムである。
B銀行の経営破綻が明らかになったのは、それから数日後のこと。
ヨシュアの死は、彼らの間では、まだ話題にさえ上がっていない。
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