第55話 白目

文字数 2,412文字

ニコーラの頭痛はほぼ慢性。頭が壊れているのだから当然である。
出勤はしていても戦力外。連邦捜査官の通常の任務に就けない毎日。
ニコーラは、皆が出払った捜査局で、圧倒的な暇を持て余していた。

その日のニコーラが自分で自分に課した仕事は、例の押収品リストのおさらい。
同じ物がもう一度押収されていないか、確認するのである。
マックスは信頼しているが、ケリーが武器を流している相手が気になる。
当然の好奇心である。
今の所、平和な日々を送るペリーは、決して断らない。
「お前、これは脅迫だからな。」
ニコーラを指さすペリーの顔は、満面の笑み。笑顔には笑顔で答えるのがニコーラ。
「誰がそうじゃないって言った?」
首を傾げたペリーは、パソコンで押収品リストのフォルダを開くと、長い休憩のために席を立った。

ニコーラは、作業を始めて数分で、駄目な臭いを嗅ぎつけた。
ゴールドの十年物の改造ポニー・カーと機関銃H&K MP5。
製造番号を合せる理由のない代物である。
事件のファイル番号をメモしたニコーラは、アダルト・サイトにアクセスすると、押収品管理室を後にした。
ニコーラの彼への罰則はそのぐらいということである。

ニコーラの自席のパソコンから、ファイル番号一つで現れた男は、ダミートリアス・オブライアン。通称フリー。
ニコーラは、顔写真を見た途端に目を細めた。白目にタトゥーが入っている。レアものである。
罪状は、凶器準備集合罪、暴行罪、脅迫罪、侮辱罪、住居侵入罪、強盗罪、放火罪、往来妨害罪、公務執行妨害罪、逃走罪にその他諸々。なかなかの重犯罪。
どうせ暇なニコーラは、フリーがリッチに暮らす刑務所を目指した。
体の痛みが、彼をそうさせたのである。

面会室に現れたフリーは、想像以上に背が高かった。
ブラックの肌にうっすらと入れたタトゥーは、入っていない場所の方が少ない。
連邦捜査官の彼も、二人だけでは会いたくないタイプである。
「連邦捜査官のバルドゥッチだ。」
ニコーラには、犯罪者に敬語を使う趣味はない。
ニコーラが差し出した右手を、フリーは緩く握った。
威圧していない意志表示。それがニコーラの受け取ったマインド。
「俺は、〇〇〇〇ブギーは知らない筈だ。」
ニコーラは、笑顔で頷いた。
「そう。僕達は初対面だ。君に聞きたいことがあるから来たんだ。」
フリーは顎を上げた。
「俺は、すべてを極めた男だ。自分に正直になれ。無知だと認めたら、俺は何でも教えてやる。」
ニコーラは小さく頷いた。
「そうだ。僕は何も知らない。だから、教えてほしい。君が今回逮捕された時に乗っていた車。それから銃。あの出所を知りたい。」
フリーは、首の角度を変えた。
「俺は、どこかで何かをなくしたんだ。ガキの頃か、親の頃か。ただ、神は平等だから、その埋め合わせをする。信じていれば、俺のなくしたものを返してくれる。」
ニコーラが目を細めたのは、意味が分からなかっただけではない。頭痛が始まったのである。
「じゃあ、君がなくした時のことを聞けばいいのかな。」
フリーは即答した。
「〇〇〇〇だな。ニガー。俺は何にも拘らない。その必要がないからだ。」
因みにフリーはブラックである。
「必要がなくても、記憶力はあるだろう。」
フリーの答えは早い。
「人間は間違える生き物だ。記憶をしない生き方を身につけると、人生は変わる。覚えておけ。」
必ずマウントをとってくるのがフリー。
そして、今現在、頭痛に苦しんでいるのがニコーラ。
「でも、じゃあ、あの車と銃はどうしたんだ。」
脈絡のない同じ質問の繰返し。この手の男が一番嫌がることである。そして、フリーは例に漏れない。
「お前は何を聞いてるんだ。ここは大丈夫か。」
フリーは頭を指さした。
フリーが記憶力を求めるのは間違いだが、ニコーラの頭が大丈夫でないのは正解である。
笑顔で誤魔化しきれないニコーラは、直球を投げた。
「じゃあ、ケリー・タワーズという女性は知らないか。直接じゃなくて、君の友達が名前を言ってたとか。そのぐらいでいい。」
フリーは、不意に思い出し笑いを浮かべると、顔を横に振った。
「名前は知らない。俺が失くした物を届けるのは、皆、ワックだ。」
ニコーラの顔の皺は増えていく。
「ワックって?」
「ワックはワックだ。いい奴。覚えたか。」
軽くよろめいたニコーラの口から洩れたのは本心。
「銃を回す奴はいい奴じゃない。悪人だ。」
フリーは、決して動じない。
「人間の行動は、いつもそうなる事になってる。仕方なかったんだ。行動じゃなくて、心で見ろ。」
「心が悪人だって言ってるんだ。」
「じゃあ、お前はサグと言え。俺にはサグがワックだ。お前は言葉の違う世界の生き物だ。それで全部がつながる。」
ニコーラが頭を抱えると、フリーは遠くの制服姿の警官を眺めた。
尋常ではない様子に、流石に心配になってきたのである。
それでも喋るのは、息の荒いニコーラ。
「もう一度、聞く。君はケリー・タワーズを知らないか。僕の同僚で、ブロンドの連邦捜査官だ。」
フリーは大きく揺れた。
「お前病気か、モーフォ。俺達がサグから買ったんなら、そんな奴知るわけねぇだろ。アイス止めてから来い。ホワイト・アイス。」
もう訳の分からないニコーラは、こめかみを抑えながら顔を上げた。
弱い人間に情けをかけるのがフリー。本人はそのつもりである。
「お前に東洋の言葉を教えてやる。いいか。“イクラ、サガシテモ、ミツカラナイノハ、スデニ、ジブンガ、モッテイルカラ”らしいぜ。キューティー。」
ニコーラは、フリーの片言を頭の中で繰返した。
あくまでニュアンスだけだが、ニコーラの考えが正しいとフリーは言っている。
証言には、決してならない。
ニコーラは、掠れる声で礼を伝えた。
「アドバイスをありがとう。」
多分、これが今日のニコーラの限界。
席を立とうとしたニコーラの視界は、とうとう暗闇に包まれた。例の奴である。
フリーは、椅子から崩れ落ちるニコーラを、タトゥーの入った目で見つめた。
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