第64話 博愛

文字数 3,078文字

某国某所にあるステファヌスのプライベート・ビーチ。
この季節の彼のビーチは、アイボリーの砂浜と、エメラルド・グリーンからウルトラ・マリンに変わる海のコントラストが美しい。どちらかと言うと女性が多いが、彼女達はゲスト・ハウスに入り浸りである。
水着姿のステファヌスとローデヴェイクは、そんなゲスト・ハウスから離れ、砂浜に腰を下ろしていた。日焼けした二人の長めの髪を風が乱すが、それも気にしない。二人は自由なのである。
ステファヌスは、砂で山をつくり、麓を削って海水を溜めた。喋るのは彼。
「偽ローデヴェイクの乗った車は、S市に向かった。あそこのヒュドールの系列会社は、最近、クルーザーを買っている。私が考える限り、彼らの行先はそのクルーザーだ。」
パープルはローデヴェイクと同じ時期につくられたクローンなので、別に偽者ではない。
相変わらずの無理解に顔を歪めたローデヴェイクは、それでも頷いた。
ステファヌスは、ローデヴェイクの表情を気にせずに言葉を続けた。太陽も眩しいのである。
「ただ、クルーザーをクルーザーで追った所で逃げられるだけだ。性能は最高級の筈だ。仮に追いつけたとしても、無理に乗り込むのは、私は好きじゃない。全人類が、彼のためにどれだけ迷惑しているかを、的確に伝えることが重要だ。」
ステファヌスは、自分がつくった砂山を指さした。
「ここがS市としよう。S市は小高い丘陵にあるが、断層が入組み、遠洋まで続いている。」
ステファヌスは、ローデヴェイクを一瞥すると、サンゴ礁のかけらを手にした。
「今、ここに中型の核爆弾がある。君ならどうする?」
ローデヴェイクは苦笑した。
「何もしません。人が死んでしまいます。」
ステファヌスも頷きながら微笑んだ。
「正解かもな。では、質問は止めよう。」
ステファヌスは、手にしていたサンゴ礁のかけらを砂山に投げつけた。当然、砂は崩れる。
「核爆弾を地上で爆発させれば、丘は崩れて、君が言う様に人が死ぬ。大勢ね。」
「そうですね。」
ローデヴェイクは相槌を打ったが、嫌な予感が止まらない。
ステファヌスは、崩れた砂の中からサンゴをつまみ出すと、ローデヴェイクに手渡した。
老人の砂遊びは終わらない。
ステファヌスは、もう一度、砂山をつくり、海水を張った。山にも水溜まりにも、さっきと何ひとつ変わるところはない。
ステファヌスは、砂だらけの手をローデヴェイクの前に差し出した。
彼が求めているのはサンゴである。
ローデヴェイクが応えると、ステファヌスは、サンゴを目の前で揺らした。
次の瞬間、ステファヌスがサンゴを投げた先は、砂丘の麓の海水。
当然の様に海水は飛び散り、砂山を濡らした。
但し、濡れるだけ。砂が崩れることなく、その場に残った。
口を開いたのはステファヌス。
「津波を起こそうと思う。」
ローデヴェイクがゆっくりと首を傾げ始めると、ステファヌスは言葉を急いだ。
「例え、サミュエルがどんなに金を持っていようと、津波が来れば、陸に上がるだろう。監視カメラさえ抑えておけば、サミュエルを確保出来る。」
今日のステファヌスは、悪いステファヌスである。
ローデヴェイクは、常識を教えた。
「普通に考えると、核爆弾では地震も起きません。爆発による海面の揺れ程度では、影響は知れていると思います。」
ステファヌスは頷いた。知っての事である。
「津波が起きなくても、爆発だけで十分に効果はある。次に備えて、陸に上がることは上がる筈だ。それだけでも、奴らを見つけられない事はない。」
ステファヌスは、足に打寄せる波に目を移した。ローデヴェイクから目を逸らしたのかもしれない。
「ただ、私は断層を狙う。あの地域一帯の断層は、八年前の大地震で殆ど滑った。ただ、残った断層がある。この一帯は、指にはじかれるのを待つ撓ったカードと同じ。特別だ。その指を狙うんだ。」
ローデヴェイクの絶望をよそに、視線を合わせないステファヌスの説明は続く。
「核爆弾は三発ある。運が良ければ、断層がずれて地震になり、津波が起きる。西海岸全体が大きく揺れ、津波が街を洗う。まあ、可能性としては、限りなく低い。奇跡に近いがね。」
運がいいという言葉の使い方を、ステファヌスは明らかに間違えている。
「もしも地震が起きれば、人が死んでしまいます。」
ローデヴェイクは、それでもステファヌスの中に残る僅かな正義を信じているのである。
ステファヌスの答えは早い。
「八年前の地震で、木造のスラム街は壊滅した。大体、地震の被害者は、絶対に倒れる家に住んでいる。誰に何を言われようとも、生まれ育った家に住み続けて、地震で被害を受けると怒る。誰かがやるべきことをしていなかったと思うんだ。誰もマグニチュード十に耐える設計などしていないことは、想像もしていない。ただ、人類が想定している範囲の地震なら、この地域にはもう倒れる建物はない。地震による死者はほぼ出ないだろう。あとの議論は、ガスの時と同じだ。よそう。」
ローデヴェイクは黙れない。そして、ステファヌスはすべてに答えを持つ男である。
「津波による死者はどうですか。」
「C国やJ国のおかげで、世界中が津波に関心を持った。津波が影響する地域は対策がほぼ終わっている。市民は皆、避難訓練に疲れた頃だ。最も、私の核爆弾が、恐竜が滅びた時の様に、高さ千メートルの津波を引起こせば話は別だ。」
「放射能汚染はどうなるのですか。」
「これは少し考えた。ただ、何百メートルかは掘る。そこで爆弾を固定するつもりだ。海底が完全に崩れなければ、ほとんどの放射性物質は地中に閉込められるだろう。長期的に海に流出すると言われれば、今と何が違うのか、説明できない。」
「中型の核爆弾と言われても、性能が想像できません。どこから入手した何という爆弾ですか。」
「君は知らない方がいいと思うから、教えないんだ。核爆弾と作業用の潜水艦は、ずいぶん前から持っている。」
先に口を閉じたのはローデヴェイク。疲れたのである。
しかし、ステファヌスの答えが揺るぎないと分かれば分かる程、ローデヴェイクは引けない。放っておくと、彼は本当に指示を出してくるのである。
「話は戻ります。地震や津波が来た時、病人や障害のある人達はどうしますか。オフィス街とは環境が違います。絶対に逃げられない人への配慮はどうしますか。」
ステファヌスは、やっとローデヴェイクの顔に目をやった。
「知事に言って、事前にもう一度訓練をさせておこう。どうせ、まだ準備に時間はかかる。あとは、避難できない人達を、安全な街の病院に転院させる事業を支援しよう。いつかは必要なことだろう。」
これは、いつものステファヌスの発言。慈善家の顔である。
ローデヴェイクは、微かに微笑んだ。本当に人が死なない様な気がしてきたのである。
「また、ラファエルのAIですか。」
ステファヌスは顔を横に振った。
「いや。今度は、私のアイデアだ。AIは奇跡を提案しない。」
意外な答えにローデヴェイクが眉を上げると、ステファヌスは明るい声で言葉を続けた。
「安心しろ。地震すら起きない。これはジョークだ。むしろ、津波対策の父になった気分だ。」
偉大なステファヌスは、手元の砂山を軽く崩した。
それは、まさにこれから彼がしようとしていることかもしれない。
立上り、尻の砂を払ったステファヌスは、ゲスト・ハウスに向かった。
主役の彼を見つけた歓迎の輪が、瞬く間に広がっていく。
ローデヴェイクは、ステファヌスの大きな背中が消えるまで見届けると、海に目をやった。
どこまでも続く、穏やかな海。
ローデヴェイクが何もしなければ、ずっとその筈である。
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