第103話 交際

文字数 3,740文字

ブレンダンの走馬灯は続く。
幾つものイメージが通り過ぎた後、ブレンダンはアリシアを見た。

大学を卒業したブレンダンが東海岸最大手の商社に就職してから三年。
環境志向の彼が目を付けたのは、火力発電所の断熱改修技術にオイル・シェール、焼却灰の建材利用。出資だけでは不安な彼は、自らも役員として子会社に出向し、精力的に活動していた。
皆が熱を入れがちなクリーン・エネルギー事業は怖い。
炭素に依存せずに、サービスだけで収益の上がる企業が少ない以上、すべてに嘘が潜む。
本当の環境影響の分からないままにライバルと競う人生は、余りに虚しい。
それと比べて、火力。
皆が根絶しようとしている技術にライバルはいない。
廃棄に向けた過渡期に得られる環境負荷の低減効果は計り知れない。
当然、短期戦のつもりだが、かつてのディーゼル車の改善並みのリターンがあるというのが、当時のブレンダンの読みだったのである。

その日のブレンダンは、バスに揺られて、W州にあるオイル・シェールの採掘場に来ていた。
新技術の権利化を睨んだ視察である。バスを選んだのは、環境志向にかぶれているせい。
バスを降りたブレンダンは、すぐに事務所を見つけた。
他には何もないので、間違えようがない。
ブレンダンは、砂煙を上げながら、事務所を目指した。
事務所には、労働者に紛れて、一人の女性が座っていた。ブレンダンが約束した相手は女性なので、これも間違いない。彼女である。
口を開いたのはブレンダン。
「アリシア・サンチェス?」
ブレンダンの見つめる中、アリシアは、笑顔を浮かべて立ち上がった。
「私がアリシアよ。ミスター・スター?」
ブレンダンは、自分の苗字が好きである。ブレンダンが笑顔を見せると、アリシアは歩きながら、言葉を続けた。
「ようこそ。イーグル・シェールへ。車は?」
「歩きだよ。」
アリシアの驚く顔を笑うと、ブレンダンは、建前の答えを口にした。
「ここまではバスだよ。アクセスが悪い。皆はどうしてるのかと思って。」
理想の経営者のイメージである。
アリシアは、感心した様に何度か頷いた。
「それで、感想は?」
ブレンダンは、事務所の中の労働者達を眺めた。
「まあ、悪くないんじゃないかな。」
「本当に?」
「いや、手を入れると、手間だね。」
正直な言葉に、二人は小さく笑った。口を開いたのはアリシア。
「何か飲む?アイス・コーヒーは?ミネラル・ウォーター?それともビール?」
ブレンダンは、肩を揺らして笑った。

ブレンダンとアリシアは、車で場内を回った。
小さい採掘場なので、エスコートするのはアリシアだけ。
砂埃にまみれた重機と違い、アリシアのクーペが埃を知らないのは、この日のために洗車したから。ブレンダンは、特別な客なのである。
ブレンダンは、全ての建屋の前で車を降り、アリシアから設備の説明を受けた。
彼女が質問に答えられないのはジョークの域。
詳しいのは技師だろうが、彼らに聞いても、別の理由で答えが返ってこないかもしれない。
場内を一周したブレンダンの結論。
投資家の目で見る限り、問題が明確な理想的な施設である。

事務所に戻ったブレンダンは、長い付合いになりそうなアリシアを知ることにした。
「この周辺で一番好きな場所は?」
アリシアは満面の笑みを浮かべた。
「Y国立公園よ。」
学生の頃に何度か来たことがある。好きな場所である。
ブレンダンは、公園の宿をスマートフォンで調べると、アリシアの目の前でロッジを予約した。口を開いたのはアリシア。
「宿がとれてなかったの?」
ブレンダンは微笑みを絶やさない。
「予定を変更した。最近は来てないんだ。君が好きだって言うから、どうなってるのかと思って。」
アリシアはゆっくり頷いた。
「公園行きのバスは、本数が少ないわ。送るわよ。」

公園までの道のりは一時間以上。
逃げられない車中の会話は、仕事の席とは違って、内容を選ばない。
とりとめのない雑談の中に、やがて、ブレンダンは小さな違和感を見つけた。
「君、さっきからお父さんに妙に遠慮してるよね。」
「そう?」
「絶対だ。僕なら、逃げ出してる。」
アリシアは、二人で声を出して笑った後、笑顔のまま、言葉を続けた。
「血はつながってないの。」
「義理?」
「義理って言うのかな。」
「結婚してたっけ。」
「してないわ。養子よ。小さい頃。」
ブレンダンは、雄大な景色からアリシアの横顔へと視線の先を移した。
口を開いたのはアリシア。
「でも、多分、本当の親子より、仲がいいと思うわ。」
「人によるね。」
「そうね。でも、幸せなの。」
「君みたいなタイプはいる。どんな環境でも幸せと思えるタイプだよ。でも、それは何かに依存してるのかもしれない。気を付けた方がいい。」
笑顔のアリシアは、ハンドルを握ったまま、ブレンダンを一瞥した。
「分からないわ。でも、私はお父さんとお母さんと一緒にいたいとの。ずっと一緒がいいわ。」

道中、通り過ぎる景色は、当たり前に雄大だった。
久々に見たバイソンの群れも、この世の主役が人間ではないことを教える。
人間の小ささを知ることが出来るのは、自然に触れる確かなメリットの一つである。
ブレンダンは、自分の仕事の意味を改めて実感した。
目的のロッジに着いたブレンダンは、車を降りると、窓から顔を出したアリシアを指さした。
「ロワー・フォールとグランド・プリズマティック・スプリング。」
アリシアが薦めた、教えられなくても誰もが知る、定番の観光スポットである。
アリシアは、やはり笑顔を見せた。
「この公園でどこがいいって聞くからよ。でも、もしも嫌だと思ったら教えて。病院に連れて行ってあげる。」
ブレンダンは何度か頷くと、アリシアに別れを告げた。
「それじゃあ、また。」
「じゃあ、また。連絡を頂戴。」
アリシアは、笑顔で窓を閉めると、静かにアクセルを踏んだ。

観光客目当ての石積みと丸太作りの平屋のロッジは、その後、ブレンダンがこの地を訪れる度に利用する宿になった。移動の不便さも、車窓からの景色の美しさを思えば、苦にはならない。
限りのある人生を、楽しめるだけ楽しむ。それがブレンダンの生き方なのである。
ただ、ロッジには何もない。あるのは自然だけ。
普段、都会の喧騒に身をおくブレンダンには新鮮だが、この地に住めと言われると退屈かもしれない。
おそらく、アリシアは、住む場所を間違えている。
同年代の人間と接する機会が極端に少ない彼女は、ブレンダン相手に、少しだけハイになっている。特別な客だからではない。
会話の節々に、若い彼女の気持ちが見えたのである。
しかし、そう思うと、ブレンダンはアリシアの笑顔に会うのが楽しみになった。
結婚適齢期の彼は、同世代の異性と点数を意識せずに話すことが少ない。ほぼ皆無。
勿論、他の皆もその筈である。
ただ一人の異性に満面の笑みを向けるアリシアは、ブレンダンにとって、特別な存在なのである。

何度か通ううちに、アリシアを意識し始めたブレンダンは、ある日の打合せの後、思い切って、彼女を呼び止めた。
「君にビッグ・プロジェクトの相談がある。」
アリシアの笑顔はいつもと変わらない。
「何?いつもと違うことは期待しないで。」
ブレンダンは声を出して笑った。
「いつも通りでいい。国立公園でバーベキューがしたいんだ。」
「公園で?うちじゃ、駄目?」
「うちって?」
「ここよ。皆、顔を出せるわ。」
ブレンダンは微笑んだ。
「それもいいけど。少し、プライベートな感じかな。君の家族とか、君の友達とか。誰でもいいよ。君が連れて来たいと思う人でいい。」
アリシアは微笑んだ。
「イーグル・シェールの社長一族を集めろって?」
二人は小さく笑った。決して、そんないいものではない。口を開いたのはブレンダン。
「別に嫌ならいい。」
アリシアの答えは早かった。
「そんなことないわ。やりましょう。皆、仲良くなった方がいいわ。」
約束の日、アリシアが招待したメンバーは、小さな村をつくった。

ブレンダンとアリシアが一緒に過ごした時間は一年ほど。
バーベキューに参加する人数は、徐々に減っていった。
盛り上がらなかったわけではない。
アリシアが、ブレンダンとの間につくっていた壁を、ゆっくりと壊していったのである。
シェール・ガスの環境破壊の報道。
イーグル・シェールの買収騒動。
ブレンダンの異動騒動。
ブレンダンとアリシアの仕事上の関係は、幾度となく、危機を迎えたが、ブレンダンは、その都度、金を厭わずに、すべてを乗り越えた。
ブレンダンには、もうアリシアのいない生活が考えられなかったのである。

ある日、ブレンダンは、アリシアが一番好きなサイトに、二人でキャンプに行く約束をした。
二人だけで出かけるのは、初めてである。
ブレンダンは、とにかく大きなテントを買った。一人で使うのが、絶対に不自然な大きさ。
シャイなブレンダンの、小さな冒険である。

その数日後。
東海岸の職場近くにある自宅で、夕食にワタリ蟹のトマト・ソース・パスタをつくって食べた直後、ブレンダンは強烈な睡魔に襲われた。
深い眠りから目覚めたブレンダンがいたのは、アリシアの元ではなく、この部屋。
彼のすべてが終わろうとしている部屋である。
ブレンダンが走馬灯で見たのはアリシア。もしも、それが最期になるなら、絶対に思い浮かべなければならない彼女だった。
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