第70話 戦争

文字数 2,899文字

約束の日の正午前。
四人は、約束の地点に車をとめ、地に足を着けた。
彼が待つのは、マテウスを連れたローデヴェイク。そして、何よりもサミュエル。
周囲は、ローデヴェイクの言葉通り。見渡す限りの砂地である。
目に入るのは砂ばかり。
片道三車線のアスファルト舗装は、どこまでも真っ直ぐ。日差しは強い。
二手に別れ、揺れる水平線を眺めていた四人のうち、声を上げたのはエマだった。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ。」
ヘクトルは、エマの視線の先に目をやった。
道路の果ての砂が、朧げに揺れている。
ブラックのSUV。かなりの確率で二台。
四人が見つめる中、当たり前に近付いてきたSUVは、予想以上に遠くで止まった。
警戒しているのである。
勢いよくドアが開き、眉間に深い皺を刻むヘクトルの前に現れたのは、津波の日に見た服装の男達。
サミュエルではない。
人数は六人。
目だし帽をかぶっていない彼らは若い。
もう一つ、彼らのこの間との大きな違いを挙げるとすれば、手にする銃が大きくなったということ。皆が握る自動小銃は、戦場のそれである。
アーサーが、静かにビクトリアの前に立つと、エマはヘクトルとアーサーの前に立った。
流れる様に一枚のドアの前に移動した彼らがつくったのは人の盾。構えた銃が物語っている。
首を傾げるエマの前で、SUVのドアが大きく開かれた。
背を伸ばし、ゆっくりともたげた頭が、人の盾から突き出たのは彼。
パープルと同じ顔を持つローデヴェイクである。

口を開いたのはローデヴェイク。大きな声が必要な距離である。
「サミュエルは!」
答えたのはヘクトル。その権利があるのは彼である。
「分からない!まだみたいだ!マテウスは!」
砂交じりの風に目を細めたローデヴェイクは、周囲を見渡した。
「サミュエルが姿を見せたら渡す!」
ローデヴェイクの主張は決して変わらない。
ヘクトルは、明らかに自分と済む世界の違う彼を、無駄に刺激することを避けた。

ヘクトル達もローデヴェイク達も、待つのはサミュエルただ一人。
待ち焦がれている。胸がかき乱される程に。
ヘクトルは言うまでもないが、ローデヴェイクの秘める苦痛も決して劣らない。
一人のクローンを殺し、世界経済を混乱させ、ビルを爆破し、通りを毒ガスでパニックに陥れ、町を津波に沈めた。
大切な仲間の命が奪われたのは耐えがたいが、自分達の知らないどこかで、それを遥かに上回る数の人命が失われている。
どの一つとして、自らが望んだものではないが、確かな事は、ステファヌスの指示が徐々にエスカレートしているということ。
ローデヴェイクは、もう耐えられないのである。

砂の舞う空を見つめ続けたローデヴェイクを動かしたのは、彼の腕時計のアラーム。
正午である。
ローデヴェイクは、遠くにたたずむヘクトル達四人を見た。マテウスを想う彼らの顔に、精気は見えない。
しかし、ローデヴェイクは、何かを動かすために、言うべき事は言わなければならない。
それに、何一つ意味がなくてもである。
「約束の時間だ!」

その瞬間。
今まで何もなかった砂地に、人影が現れた。
手品を見せたのは、サミュエル・クレメンス。スーツ姿の彼である。

ローデヴェイク達との距離は遠い。
サミュエルと通じ合うのが使命であるローデヴェイクは、言葉を選んだ。
「驚いた!可視光を調整するスクリーンか何かだね!悪戯好きだ!」
サミュエルは、心のある者は嫌いではない。
真顔だった彼は、小さく微笑んだ。しかし、声をかけた先はヘクトル。
「済まない!迷惑をかけた!」
ヘクトルとサミュエルが会話をしたのは一度だけ。
その一度も、地獄を見せただけだったが、サミュエルの記憶には残っていない。
残ったのは、難しい交渉を決着した成功の記憶だけである。
ヘクトルが決して好感を持っていないサミュエルが謝ったのは、創造主としての自負。
すべてが許される自信ゆえである。

動かないヘクトルに頷くと、サミュエルは、ローデヴェイクを見据えた。彼の周りに溢れる顔である。
「マテウス・ピウスは!」
続いたのはヘクトル。
「そうだ!マテウスは!」
ローデヴェイクは、小さく笑った。
「いない!彼は来れない!」
ヘクトルが黙っているのは不可能である。
「約束が違う!」
ローデヴェイクは、何度か頷いた。
「状況が変わった!理由がある!今は忘れろ!」
ローデヴェイクの顔を見つめていたサミュエルは、不意に顎を上げた。
「もう一度聞くぞ!マテウスは連れてきていないのか!」
約束を破ったローデヴェイクは、笑顔のまま、顔を横に振った。
彼が送ったメッセージは変わらない。
“マテウスは連れてきていない”
ヘクトルがあまりに気の毒なので、流石のローデヴェイクも言葉をなくしたのである。
聞くサミュエルが悪い。非常識。繰り返し聞くなら、彼の居場所。それが常識。
ローデヴェイクの頭の中の回路がつながったのは、その瞬間。
「隠れろ!!!」
ローデヴェイクの叫び声が途切れるより早く、機関銃の重たい銃声が鳴り響いた。
銃口は絶対に一つではない。低い爆音が波を打ち、長い火花がちらつく。
確かに銃弾のそれ。
エマは、腰を入れると、ヘクトル達を押し倒し、その場に身を伏せた。

銃を手にしていたローデヴェイク達は、着弾の衝撃に踊らされた。
銃を握る腕を挙げる事も、引き金を引く事も出来ない。
周囲の人の壁が崩れると、SUVに乗り込もうとしたローデヴェイクは、車にもたれたまま、最後まで銃弾を浴び続けた。
ローデヴェイクがずり落ちても銃声は止まない。
風の音が聞こえ出したのは、誰一人として立上る者がなく、ひたすら銃弾を受けた車のボディが蜂の巣になった後だった。

火薬のにおいが立ち込める中、アスファルトに這っていたヘクトル達は、ゆっくりと顔を上げた。
目の前に見えたのは、銃声が響く前と全く変わらないサミュエルの姿。
ヘクトルと視線の合ったサミュエルは、何処かで聞いたスラングを口にした。
「▽×◆#!」
古い映画の決め台詞で違いない。
何よりも状況の理解できないヘクトル達の視線を感じると、サミュエルは言葉を急いだ。
「冗談だ!これは陸軍の仕業だ!私は、人殺しなどしない!」
続け様に、サミュエルが手元を動かすと、砂地に次々と人影が現れた。
重装備の彼らは、二十人ほど。
足元には、重機関銃が何台も据えられている。
彼らは、サミュエルと同じスクリーンに潜んでいたのである。
倒れた七人の生死を確認する者。
SUVの中を確認する者。
無線で連絡をする者。
間もなく、ヘクトル達はヘリコプターの音を耳にした。おそらくはサミュエルのお迎え。
すべては、周到に準備されていたのである。

立上ったヘクトルが目指した先はサミュエル。
静かに立ち上がったエマ達は、その背を静かに見送った。
サミュエルは、一歩も動かずにヘクトルを待った。喋るのはサミュエル。
「もう一度、謝ろうか!」
流石のサミュエルにも自覚があるということだが、それは彼のエゴ。
何も言わずに足を進めたヘクトルは、サミュエルの前で立止まった。
「マテウスはどうなる。」
感情に任せて、怒鳴る気はない。今の彼に必要なことは、ただ一つ。
マテウスの無事である。
サミュエルは、小さく微笑んだ。
「次は、ステファヌスだ。それで解決する。」
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