第76話 不死

文字数 3,493文字

A国C州C市。黄鉄鉱のジョンブリアンと、石灰石のグレー・ホワイトが目立つ切立った岩壁の裾に、ホワイトのレストランがある。パーム・ツリーの間から覗くオーシャン・ビューが、すべての席で得られる扇形。二階建てである。
駐車場に車を入れると、キイチゴやイチジクが植えられた木立の合間を縫う様に、細い道が続く。微かに甘い、新鮮な空気を味わう間に辿り着くのがエントランス。
迎えられた店内はホワイト。ブラインドを全て上げて、照明を抑えると、夜の海の暗さと港の灯りが、動く絵画の様に窓を彩る。
評判のいいその店は、着飾った男女によって彩られ、いつも優雅な瞬間に満ちている。
そんな店の窓際の一席に、スカーレットとアンダーソン夫婦が座っていた。
サミュエルが国に提供したクローン技術を、リーダーとして進めているのはスカーレット。
クローン研究の第一人者として、白羽の矢が立ち、国の研究機関に出向したのである。
給与は年俸制。メディカル・リサーチ社とヒュドールからの顧問料も入る彼女は、富と引き換えに資産運用の面倒に悩まされる様になった。
そこで彼女が選んだのが、ラッキー・アイテムであるクローン。
経営コンサルタントを生業とするアーサーである。
既に、お金を社会と関わる手段と考えているスカーレットは、客としてだけでなく、友人としても、アンダーソン夫婦との親交を深めていたのである。

喋り続けるのはスカーレット。
「ラファエルのAIの顔をつくるプロジェクトがあったんだけど。」
基本的に、口を挟むのはアーサーである。
「それは国家プロジェクト?」
スカーレットは頷いた。
「最初は、ロボティクスで、感情も表現できる感じで人の顔をつくったの。怒る時は、如何にも怒ってる感じで皺が出来る様に。もうちょっと怖い顔じゃないかとか。でも、くだらない。」
スカーレットは、笑うビクトリアを見つめた。
「世の中に、これだけ分からないことがあるのに。困ってる人がいるのに。顔の皺の付け方で苦労してるの。でも、感情の方はちょっと凝ってるのよ。与えられた情報のパターンを細かく分類して、表情と結び付けるんだけど、人間なら感情が変わる時があるでしょ。不安な中で怒り出したり、泣きながら笑ったり。つまり、感情は白黒で決まらないけど、そこに手をつけようとしたの。」
アーサーは、取敢えず頷いた。
「匠の域だな。」
スカーレットの話は終わらない。
「開発者は言うの。人間の感情を数値化して、脳科学と関連付けて、脳構造が違う他の動物と比較して、感情の系統樹をつくるんですって。すると、生き物の感情の正体が分かる。」
「分かって、どうするんだい。」
「感情って、特殊な気がするでしょう。自然の中のものって、雨が降ったり、木が育ったり、星が流れたり。人の感情とは違いすぎるもの。実際は脳の記憶の構造が曖昧なだけなんだろうけど、そこを整理したいんだって。プレゼンの時に、審査官の一人が宗教論争まで解決できるって興奮してたんだけど。」
「で、結果は?」
「却下。」
三人は、小さく笑った。
アーサーとスカーレットの会話の合間を見つけると、ビクトリアが笑顔で口を開いた。
三人の会話は、この店のコースの様に永遠に終わらないのである。

やがて、アーサーは、スカーレットに会う度に尋ねる、定番の質問を口にした。
「それで、クローン技術の方はどう?進んでる?」
スカーレットが躊躇うのもいつも通り。
「前に、ラットで延命の研究に成功したって言ったでしょう。」
アンダーソン夫婦が、揃って頷くのもそう。いつも通り。
「あれを、サルで始めたの。」
それは、いつもとは違うゾーン。
サルのクローンは、誰が聞いても攻めている。
自分でも分かっているスカーレットは、説明を加えた。
「まず、ボタンを押したら、餌がもらえるって、教えるの。サルなら簡単。そのサルの脳を別の若いサルに移植するの。」
両手の二本指を曲げたスカーレットは、笑顔で言葉を続けた。
「それで、餌をやらずに、ボタンを押すか待つの。あとは繰返しね。別の若いサルの脳を少しずつ移植して、いつまでボタンを押すか。脳を全部入替えてもボタンを押して、運動障害がなかったら成功。」
アーサーは眉を軽く上げた。
「ラットと同じだとすると、その若いサルが…。」
スカーレットは言葉を被せた。
「そう。その若いサルが、全部クローン。クローンは、オリジナルとの相性を心配する必要がないのよ。」
クローンの命の軽視である。
アンダーソン夫婦は、顔を見合わせると、眉を潜めて笑った。
ビクトリアの疑問は尽きない。
「でも、ボタンを押すだけで、記憶が全部移ったって言えるの?」
スカーレットの答えは早い。
「サルには会話で確認できないから、完璧を期するなら、脳の構造を完全に解明する必要はあるわ。あと、脳の構造が高度になると、切断した部分を修復する技術の研究も必要ね。麻痺は何とかしないと。」
アーサーは、スカーレットから一瞬だけ目を離した。それは、同じ気持ちと思いたくないということ。やはりクローンの命が気になるのである。
「いつか、人間でもやるのか。クローンを何人も殺すのかい。」
スカーレットは笑顔を消した。会話は、より繊細なゾーンに踏み込んでいる。
「結局、完全に人間と同じクローンからは臓器を取り出せないでしょう。培養を認めない臓器のルールをつくって、それだけのない、人として不完全なクローンをつくって、全部利用するイメージね。」
表現が微妙なせいか、ビクトリアは不安が隠せない。
「人として不完全とかっていう会話は、国の会議でされてるの?」
スカーレットは、言葉の難しさに自嘲気味に笑った。
「あくまでも、臓器移植用のクローンをつくる場合の話だけど、そうよ。」
アーサーは、納得できない。
「でも、じゃあ、その不完全って、実際、どういう状態?」
スカーレットは、アーサーを指さして頷いた。
「結論はまだ出てないわ。完全な人間に近いと、絶対に皆が反対するけど、臓器だけなら大歓迎でしょう。その境はどこか。難しい問題ね。」
難しいという言葉は便利である。頷きながら、新たな疑問を口にしたのはアーサー。
「何度でも移植できるのかい?」
スカーレットは小さく微笑んだ。
「理論的には。つまり永遠の命が手に入るの。」
よく言う女性が好きそうな話である。
ビクトリアは、しかし、逆に険しい表情を浮かべた。
「子供の頃、何で人が死ぬんだろうって思ったことがあるわ。誰でもそうだと思うけど。でも、死なないと、地球が人だらけになって、皆死んでしまうって、誰かが言ったの。そうなると、人が死なないためには、子供は生まれてはいけない。そしたら、私はいないって。子供が生まれてくるためには、人は死ななければいけないって。」
スカーレットが笑ったのは、自分にも同じ記憶があったから。
「人に限定すると哲学的ね。たとえば、単細胞生物に修復不能な損傷が与えられた場合に、どうあるべきかを考えれば簡単よ。修復不能な状態で生き続けると、それは明らかな負担でしょう。絶滅の危機よ。だとしたら、そこを切り離せばいい。生物は地球環境の支配下にあって、種のレベルで、大規模に修復できない損傷を受けることがあるでしょう。火山の噴火とか大地震とか隕石の衝突とか津波とか。あとは外敵の異常繁殖とか。そういう条件で、劣化した細胞を切り離せる遺伝子をもったものが、主に残ったということね。」
確かなコメントかもしれないが、ビクトリアの気になることは別である。
「それで、人が死ななくなると何が起きるの?」
スカーレットは、肩をすくめてから口を開いた。ビクトリアは、不死を求める傲慢に潜む、負の側面を知りたがっているのである。
「最初は、一部のお金持ちしか恩恵に預かれないわ。多様性があるうちは、何も関係ない筈よ。お金持ちが長生きするだけ。死を超越した金持ちが何を考えるかは分からないけど、そこを疑うのは不遜だわ。皆が目指すべきゴールよ。」
ビクトリアの質問は終わらない。
「皆が死ななくなったら?」
口を挟んだのはアーサー。ビクトリアの質問が、あまりに稚拙に聞こえたのである。
「そしたら、地球が人で一杯になるから、火星にでも移り住むんだ。火星も一杯になったら、宇宙基地とか。その先はまた考えるんだな。」
小さく笑ったスカーレットは、トリビアを披露した。
「地球の最後は、東と西から太陽の炎が上がってくるんですって。」
アーサーは、とうとう笑って誤魔化した。彼自身も、頭のどこかが不安にくすぐられたのである。
「止そう。愛について、話そう。」
三人は静かに微笑み、スカーレットは、手つかずのデサーレに、やっとスプーンを入れた。
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