第16話 病院

文字数 3,343文字

U州の外れの精神病院。
看護婦に付き添われたロレンツォとニコーラは、面会室に続く、長く狭い廊下を歩いていた。
タクシーの男が見つかったのである。
傷害容疑で身柄を拘束された挙句、精神病院の閉鎖病棟に収容。
ニコーラから電話を受けた管理官が、翌朝に返した情報である。
収容の決め手は、男が身元を明かさないばかりか、訳の分からないことを言い続けたこと。
閉鎖病棟に入るのは難しい上、一度入ると出るのは難しい。
入っている人間はハード・コア。決して、楽しくない面会である。
スノー・ホワイトの壁の窓は高く、日差し以外は受け入れない。確かに鉄格子が見えるよりはいいが、革靴の音が四方から重なるのは、逆効果かもしれない。
鍵のある閉鎖病棟の扉をくぐると面会室。
ロレンツォとニコーラは、看護婦と別れ、座って待つ男の前に座った。風貌は中世の西洋画に描かれる聖人の様で、かなりの仕上りである。
「連邦捜査官のロレンツォ・デイビーズです。彼はニコーラ・バルドゥッチ。」
IDを示しても何の反応もない。身元を明かさないのは、男のアイデンティティ。
ニコーラは、小さく笑うとレコーダーのスイッチを入れた。
目を泳がせた男は、何も聞かないうちに、自分から口を開いた。決して、無口ではないのである。
「僕は彼女に何なのかを聞きたかったんです。でも、何の反応もなくて。怖かったろうと思います。申し訳ないです。」
想像する限り、傷害事件の釈明である。
被害者は、ヘクトル・ピウスとエミリー・ピウス。ヘクトルは軽傷だが、エミリーは故死。
内容的に、エミリーのことで間違いない。
ロレンツォは、ニコーラと顔を見合わせると、質問に入った。犯罪者への厳しい姿勢は忘れない。
「エミリーの連れを殴っただろう。」
男は、ロレンツォの目を覗き込むと、逆に質問を返した。
「死にましたか?」
「いや、生きてる。」
ロレンツォの即答に、男は自分の正義を見つけた。
「想像してみて下さい。何年も監禁されたんですよ。仮に先に手を出したとしても、正当防衛です。」
「暴力は犯罪だ。」
ピウス家の悲劇に関心のないロレンツォは、無敵の答えを口にすると本題に入った。
「その件はここまで。誘拐事件。それだけが知りたいんだ。」
男の目は、とろけそうである。ロレンツォは、目を細めて口を開いた。
「君は誘拐、監禁されていたな。」
たった今、男はそう言っている。男が頷くと、ロレンツォは言葉を続けた。
「つまり、君は僕達の一件では被害者だ。僕達の関心は、犯人の特徴、方法と監禁中に何があったか。原因に思い当たる節がないかだけだ。どうだろう?」
男は、急に何度も大きく頷いた。加害者としての聞き取り以外は初めてだった様である。
興奮した男は歌う様に話した。
「犯人らしい男は見ていません。逃げる前に男が来て、死にかけた仲間を治療しようとしてくれていたと思います。でも、彼が何なのかは分かりません。」
新しい登場人物が二人。
隣りのニコーラが大袈裟に頷くと、釣られたのか男も頷き、続け様に口を開いた。
「誘拐の方法は、何人かいたんですが、皆、ある日、眠ってしまって。気付いたらその部屋にいたんです。皆、同じです。」
ロレンツォは小さく頷いた。
「何人?」
「多い時で四人です。」
数がそれなりに多い。口から出まかせでは論理が破綻する数である。
「一人が死にかけたのは何故?拷問でもされた?」
「拷問なんて。皆、平和にやっていたんです。食べ物だって、今思えば、あれより美味いものは食べたことがないです。ただ、ある日、一人が暴れだして。あれも、事故だったんです。」
空想にしては、情報が無駄に散らかっている。事実の可能性が高い。
ロレンツォがニコーラを見ると、聞き役に徹していたニコーラも口を開いた。
「他には?」
思いのほか短い質問にロレンツォが微笑むと、男は身を乗り出した。
「キリストの降誕を見ました。ある時は天使が戦い、フラミンゴの集団に、踊りながら襲われました。薬かCGのせいだと思います。」
ロレンツォとニコーラは、深い溜息を吐いた。
要らない情報にニコーラが顔を横に振ると、笑顔の微かに残るロレンツォが口を開いた。
「四人全員が見た?」
「全員が見ました。」
即答である。但し、男は大きく目を見開いた。瞳孔が開いているかもしれない。
ロレンツォは、次の質問に移った。何事も我慢が大事である。
「誘拐の原因に思い当たることは?」
男は、目を見開いたまま、動きを止めた。記憶を辿っているなら、男の頭の中は地獄の筈。
ロレンツォは、男を放って、壁の穴を見つめた。ニコーラは手遊び。許せるシンキング・タイムである。
男は、忘れた頃になって、口を開いた。
「ある女性と付き合ったことが原因の筈です。」
ロレンツォの質問は早い。
「名前は?」
「アンジェリーナ、シャーロット、スカイラー、エミリー、アリシア。」
ロレンツォが眉間に皺を浮かべると、男は続きを急いだ。
「一人です。名前を使い分けていたと思います。」
エミリーは傷害事件の被害者のファースト・ネームである。
ロレンツォは、男の言い訳を思い出した。
“想像してみて下さい。何年も監禁されたんですよ。仮に先に手を出したとしても、正当防衛です。”
つまり、エミリーとおそらくはヘクトルが誘拐犯。男はそう言っている。
ニコーラが口を挟んだのは、黙っていられなくなったから。
「誘拐される前に面識は?」
「誰と?」
「多分、男だろう。」
「いえ、ないです。」
「後に会ったなら、どうして同一人物だと?特徴だけなら同じ人間は幾らでもいる。」
ニコーラに問い詰められていることに気付くと、男は小さく仰け反った。
「似顔絵を描いたんです。僕は上手い方ですが、皆が同じだと言いました。それに、皆、誘拐の頃に付き合い始めたんです。同一人物でしょう。」
男の答えは真実と思える程度に早い。口を開いたのはロレンツォ。確かに詐欺かもしれないが、この男ならA国中の女を同じ顔と言いかねない。
「それがエミリー・ピウスだと?」
「アンジェリーナだと思ってます。」
男は、どちらでもいい拘りを見せると、妙な事を口走った。
「コバルト・グリーンの瞳、マルーン・ヘア、色の濃い眉、厚い唇、小さい耳たぶ、酒に弱い。」
言い慣れた感じが不気味。ニコーラの目が細くなっていく。
嫌になったロレンツォは、聞いていた名前で男を呼んだ。それは突然。
最初から、どこかのタイミングでやると決めていたのである。
「××××・××××。」
男は反応せず、俯いた。完璧である。
弾の尽きてきたロレンツォが椅子の背もたれに身を任すと、男は小さい声で何かを呟いた。確実に二人に話しかけているのだが、怖い、自信が持てない。そんな感じである。
ロレンツォが耳に手を添えると、男は顔を上げた。
「仲間が一人消えたんです。目の前で。一瞬でした。」
動きを止めたロレンツォは、現実的な答えを見つけた。
「それこそ、CGでは?」
キリストの降誕を見たなら、何が起きてもおかしくない。ニコーラが小さく笑うと、男は二人の顔を交互に見つめた。納得できないのか、目は見開いたままである。
「いや、あれは本当に消えた感じでした。」
どんな感じか分からない。
疲れたロレンツォが、目に力を込めると、薄っすらと圧を感じた男は顔の向きを忙しく変えた。
ロレンツォの結論。
男は狂っている。
それらしい事実があったことは確かだが、空想の世界との境界が混乱している。これ以上は無駄である。
ロレンツォが分かり易く沈黙を選ぶと、ニコーラが代わったが、大筋は変わらない。
やがて、ロレンツォのペン回しが巧みになると、ニコーラは質問を切上げ、レコーダーのスイッチを切った。
立上ったニコーラは、男の肩を二度叩いた。ロレンツォには出来ない芸当である。

帰りは、看護婦の付添いはなかった。
閉鎖病棟の先は、日光で光り輝くスノー・ホワイトの廊下。
歩きながら口を開いたのはニコーラ。
「確かに収容されるな。」
ロレンツォは微笑んだ。皆、思うことは同じである。
革靴の音が響く理由を探し、天井を見上げたロレンツォは、静かに口を開いた。
「彼の証言は証拠にならないから、ヒュドールは落ちない。エミリーの夫に会いに行こう。」
響くのは靴の音だけではない。
気付いたニコーラが軽くステップを踏むと、ロレンツォはもう一度微笑んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み