第20話 電話

文字数 3,146文字

ピウス家は、その日も、アーサー夫婦を迎えていた。
ヘクトルとアーサーは推理。ビクトリアは、マテウスと一緒にブレインである。
弁護士と経営コンサルタントの話は、おそらく永遠に終わらない。
「子供の頃はどうなんだろう。」
ヘクトルの呟きを、アーサーは丁寧に拾い上げる。
「結婚する相手を限定したいんなら、妨害は大人になってからと決めつけてたけど。あるんじゃないか?」
ヘクトルは、スマートフォンを手にした。同窓用のHP。但し、小学校のである。
隣りに動いて、液晶画面を覗き込んだアーサーは小さく笑った。
「大学の頃のことも思い出せなかったのに、昔過ぎて何も思い出せないんじゃないか?」
正論であるが、ヘクトルは、パスワードを入力した。
それは、心当たりがあるということ。
「確かに、わざわざ出向くほどじゃない。電話で聞いてみる。」

ヘクトルは、小学校の頃に好きな子が二人いた。
一人は、幼稚園の頃から近所に住んでいたグレイス・フュー。
クラスもずっと一緒で、学校からよく一緒に帰っていたが、小学三年生以降の記憶がない。
もう一人は、いつも遊んでいたライリー・ボナム。
彼女はませた子で、小学六年生の頃、何が気に入ったのか、ヘクトルに告白をしてきた。
結果、ヘクトルも彼女を意識したのだが、その直後に彼女が転校し、以降の記憶はない。
二人とも、ヘクトルの記憶から消えていったのである。
順に名簿を検索したヘクトルは、二人の記録がリストにないことを確認した。
「やっぱりだ。」
ヘクトルが声を漏らすと、アーサーの目は逆に輝いた。
それは、ヘクトルがエミリーと結ばれる様に何かの力が働いた可能性。小さな前進である。

ヘクトルは、小学二年の頃の担任のダグラス先生に電話をかけた。
幼いヘクトルとグレイスを、大人の目線から見守っていた筈の人物である。
ヘクトルの中では顔つきも定かでない先生は、電話に出るとすぐにヘクトルを思い出した。
「ヘクトル。あのヘクトル。」
ヘクトルは照れたが、電話で黙るわけにはいかない。
「ヘクトル・ピウスです。“あのヘクトル”って、…。」
先生がヘクトルを覚えていた理由は、学業優秀に加えて、両親が同性ということ。出来れば、知りたくなかった事実である。
同期の近況を聞き続けるのは教師のサガ。他愛のない四方山話を終えると、ヘクトルは本題を切出した。
「先生、グレイス・フューのことはどうですか。誰か、何か言ってませんか。」
アーサーがにじり寄ると、ヘクトルは距離を開けた。
喋るのは、ダグラス先生。
「グレイスは、あの頃、大勢いたね。フュー。フュー。フューね。」
その時、隣りの部屋でマテウスが声を上げた。
ビクトリアとの長い勝負に決着がついたからで間違いない。
黙らせるためにビクトリアが抱きしめると、マテウスの声はますます大きくなる。
可愛さの連鎖にヘクトルは微笑んだが、肝心の話は一向に進まない。
考える間も喋り続けるのが教師。紆余曲折した先生は、やがて結論に辿り着いた。
「女の子が引越した記憶はあるね。ただ、それがグレイス・フューかと言われると、学校に行かないとちょっとね。記録は全部返したから。」
先生は退官済みなので、先生に頼めるのはここが限界である。
ヘクトルは、丁寧に礼を言うと、電話を切った。
口を開いたのはアーサー。
「どうだった?」
「いや、何も。多分、引越したぐらいだ。」
「転校か。ライリーと一緒だな。」
気付いていたヘクトルは、次の番号にかけた。アーサーのたっての願いで、ハンズ・フリー・モードである。
相手は、小学六年の頃の担任のマン先生。
先生とは、今でも付き合いがある。
友人の結婚式で顔を合わせ、弁護士をしていることを伝えると、先生の妹の離婚訴訟の仕事をもらって以来のお得意様である。
妙な電話は避けたかったが、話し易さはダグラス先生より遥かに上である。
ツー・コールで出たマン先生は、ライリーのことを覚えていた。
「ライリー・ボナムね。いい娘だった。何だ、ストーカーか。君は結婚してるだろう。」
ヘクトルは小さく笑った。仕事の会話のせいで慣れているが、先生とのこの類の会話はモラル・ハザードである。
「先生。友人との雑談だと思って下さい。子供の頃の仲良しが今どうしてるか。それだけです。」
勿論、マン先生は冗談が分かる。
「ライリーはね。お父さんがAIダイナミクス社に努めてた。あの頃、新聞にも出てたんじゃないか。急成長企業とか顔とか、そんな感じで。転校したな。」
アーサーがスマートフォンを手に取るのを横目に、ヘクトルは言葉を続けた。
「先生。彼女が転校した先とか、何か知りませんか。」
「何だ、やっぱりストーカーか。君は結婚してるだろう。」
下らない冗談を鼻で笑ったヘクトルは、違和感の残らない落としどころを探すために、人生の貴重な数分間を費やした。
ヘクトルが電話を切った途端、口を開いたのはアーサー。随分前から待ち構えていたのである。
「AIダイナミクス社はヒュドールの系列だ。」
ヘクトルは、アーサーのスマートフォンを手に取った。
ヒュドールの系列会社の一覧である。
AIダイナミクス社は二ページ目。小さく笑ったヘクトルは、ページをめくった。
自分が手を出している相手のスケールに、今更の様に気付いたのである。
その一つ一つに、何百人、何千人、何万人の社員がいる。更にはその家族、取引先にその家族。強大である。
一社ずつ注意深く確認を進めたヘクトルは、知った名前、スカーレットの会社メディカル・リサーチ社を見つけた。
ヘクトルのビジョンは、朧げにだが固まり始めた。
規模だけではない。その時間軸も馬鹿にならない。
スカーレットの言葉もフラッシュバックする。
“私が動けば、誰かへのメッセージになるかもしれない。多分、ラファエルには伝わる。”
観察されているのかもしれない。世界中、どこにいても、どんな時も。今、この時も。
不意に部屋を見渡したヘクトルは、小さく呟いた。
「人は、何十年間も、一人の人間の監視を続けられるものだろうか。」
別に答えを期待したわけではなかったが、アーサーは人の言葉を放っておけない。
「親でもなきゃあ、怖いね。」
ヘクトルの恐怖はアーサーの恐怖である。
見えない何かに背骨を掴まれた二人は、言葉を失くした。

いつまでも続く静かな時間を止めたのは、ヘクトルの電話である。
知らない番号であるが、ヘクトルは慣れている。
咳払いをしたヘクトルは、アーサーを一瞥するとハンズ・フリー・モードを選んだ。
男の声である。
「もしもし、ミスター・ピウスの電話ですか。」
「やあ、誰?」
ヘクトルの第一声にアーサーが微笑むと、男は言葉を続けた。
「連邦捜査官のロレンツォ・デイビーズです。」
エミリーの事件が頭を過ったヘクトルは、ハンズ・フリー・モードをオフにした。
大事な一線である。
何かを感じ取ったアーサーは、ソファを離れると、ビクトリアの元に向かった。マテウスとの勝負は第二ラウンドである。
ロレンツォの話は短い。
「端的に。お話を伺いたいのですが、今からお宅にお邪魔してもいいですか。」
ヘクトルは、アーサーと視線を合わせた。
「いや、断れない気がするけど。何の話?」
「それは、お宅で。」
ノーはない。
ヘクトルが電話を切ると、妄想の塊のアーサーが口を開いた。
「連邦捜査官が入るということは、州をまたいだ重犯罪だろう。そりゃあ、僕達の推論が当たる筈がない。」
何でも、自分達とつなげるのは、性格のせいかもしれない。アーサーは、自分が中心の世界にいるのである。
ヘクトルは、自分を見つめる三人に向かって、静かに頷いた。
「まあ、取敢えず会ってみる。誰かが見ているかもしれない。」
マテウスはともかく、二人にどう聞こえたかは分からない。
ただ、ヘクトルは、スカーレットの言ったラファエルを、何となく意識していた。
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