第56話 改修

文字数 3,433文字

ジョンが手元に残した金は、ほぼ十九万ドルである。
今の彼が求めているのは、両親に尽くしていることが伝わるリニューアル工事。
家より大きな買い物はない。ハードルは明らかに高くなったのである。
お洒落な内装の写真を見せ、こんな風にと言うのは簡単だが、それでは、彼が両親に尽くしていることが伝わらない。
ジョンにとって必要なのは、そこだけなのである。
ジョンは、ソファに座る老夫婦をそのままに、家の中をゆっくりと回った。
直すべきものがあれば、見えてくる筈である。

老人には使いづらい、昔のバス、トイレは、皆が手を付けるのでポイントにならない。
一番の狙い目は、ジェーンが毎日必ず使うキッチン。彼女だけのものに金を多めにつぎ込めば、彼女への気持ちが伝わる。真理である。
次は乾燥機のない洗濯機。据え付けにして、乾燥機をつければ、同じ効果が期待できる。
あとは、ジョニーが少ない予算で悩み抜いた寝室の壁紙。客間の内装一式も、夫婦で揉めに揉めたと聞いている。エピソードに紐づけた工事をすれば、温かい話題で盛り上がれるかもしれない。
意外となくはないものである。
ジョンは、迷うことなく、ジョニーの古い仲間に声をかけた。
ニーマイヤー・ブラザーズ。町一番の工務店である。

打合せに姿を現したのは、ニーマイヤー社長本人。
ジョニーは、固い握手を交わすと、恥ずかしそうに息子を紹介した。
ジョンが元教師だろうが、大金持ちだろうが、最新のファッションで身を固めていようが、彼にとって、ジョンはそういう存在なのである。
人の話を聞くのが仕事のニーマイヤーは、ジョンを褒め称え、一時間ほどで、そのプランを余すところなく聞き出した。
二回目の打合せで、ニーマイヤーは基本プランを見せ、四回目の打合せで契約を迫った。
ニーマイヤーにとって、トリプルJはそのぐらいの客だったのである。

少しでも多くの職人に感謝されたい。
その一心しかないジョンが選んだのは、全てにおいて、最高ランクの案。当然、両親への思いを伝えるエピソードの説明付きである。
そんな上っ面だけのリニューアル工事の金額は、四万ドルに達した。

順調に工事が進むある日、ジョンは、一つの事実に気付いた。
契約前に見せられた見本と、何かが違うのである。
さすがに工事現場にニーマイヤー社長の姿はない。
いるのは息子のニーマイヤー・ジュニア。父親と違い、頭頂部の禿げている彼は年齢不詳である。
「ちょっと、教えてくれないか。これは何だ?」
ジョンが触ったのは廊下の手すり。野暮ったく太いそれは、手元の資料とはまったく違う。
ジュニアは、決して悪びれない。
「何って、手摺りだろ。他に何に見える。」
ジョンは、ジュニアの目を見据えた。
「手摺りなのは分かる。でも、僕が頼んだ手摺りはこれだろう。」
ジョンが資料を見せると、ジュニアは呆れた顔を見せた。
「これを見て、この通りになると思ったのか。」
口の開いたジョンを見ても、ジュニアの姿勢は変わらない。
「これはイメージだ。こうなる訳がない。この扉だって見ろよ。天井はこんなに高いか。扉を小さくするのか。契約書を見ろ。図面もだ。」
馬鹿ではないジョンは、契約書も持っている。
「待てって。見てごらんよ。」
ジョンが契約書を捲り出すと、ジュニアは資料を奪い、目当てのページを開いた。
彼は慣れているということ。
汚れたジュニアの指が差した先は、手摺りの欄ではない。
枠の外。欄外である。
「ここを見ろよ。ほら。“いずれも同等品”と書いてる。」
言葉を失うジョンに、ジュニアは説明を続けた。
「時々、こういう事を言われるんだ。まず、書類はちゃんと読んでくれなきゃ。こっちは商売だ。いつだって、何でも揃ってるわけじゃない。それにこの値段を見れば分かる。頼まれて買ってたら、この値段にはならない。頑張ってるんだぜ。」
余りの言葉に、ジョンは我に返った。
「いやいや、じゃあ、頼んだままに工事をしてもらおうと思ったら、どうすればいいんだい。」
ジュニアの答えは早い。
「それは、あんたが別で買って、支給するんだ。当たり前だろう。」
「当たり前って…。そうなのか。」
「そうだよ。」
ジュニアは、首を傾げて微笑んだ。譲る気がある様に見えないその表情は、ビジネス用のそれ。職人に好かれたいだけのジョンにとって、それ以上の抗議を続けるのは、出来ない相談だった。

その後の工事も万事がそう。
台所のパッション・ピンクのタイルは、バーミリオンのタイルに代わった。
パッション・ピンクはジェーンの好きな色。
趣味がいいとは言わないが、敢えて母親が選んだ色を変えるのはなかなか。
大きさが違うと色の感じ方が違う。それを見越したプロの判断らしい。
違う色のタイルが同等品になる理由が分からないが、きっとそういうものなのである。

最終的には、建物の性能確認の立会いの場がある。ニーマイヤー親子が同席したその場には、厳かな雰囲気が漂った。
ジュニアの説明に沿って、見ていく限り、性能の不備は、何一つとして見つけられない。
ニーマイヤー・ブラザーズは、町一番の工務店なのである。
扉は開き、水は流れ、壁紙は剥がれていない。流石である。
最初にもらった絵とは違うが、どこかで見たことのある部屋に仕上がっている。
そう。それは頼んだのとは違う部屋。
四万ドルは、ほぼ違う商品に使われたのである。

金を使い込まれたのに、賛辞を送り続ける矛盾。
暴力に近い時間を終えると、トリプルJは、ニーマイヤー・ブラザーズを笑顔で見送った。
彼らの選択肢はそれしかないのである。
ニーマイヤー親子も笑顔だったが、実際、どういう心境なのかは誰にも分からない。

客が帰り、改修したての清々しい匂いの部屋に残されたトリプルJは、ゆっくりとソファに集まった。
彼らの居場所はソファ。周りがどうだろうと関係ないのである。
ジョンが口を開こうとすると、ジョニーが先を急いだ。
「ありがとう。ジョン。」
ジェーンも続く。
「本当にありがとう。素敵だわ。」
ジョンは、二人の顔を交互に見据えた。間違いなく、優しい笑顔である。
「何で、礼なんか言うんだ。全然、頼んだのと違うじゃないか。怒ってもいいんだ。金ならあるから、もう一回別に頼んでもいい。」
興奮したジョンを、ジョニーは小さく笑った。
「よせ。まともに工事もしてもらえない馬鹿だと思われる。カモにされるぞ。」
ジョンの頭を、ニーマイヤーがジョニーの古い仲間という事実が過った。この工事は、二人のこれまでの関係を表しているのかもしれない。
ジェーンのトーンは、また少し違う。
「こんなにピカピカになって。嘘みたいよ。」
彼女の感性はそのぐらい。息子の金で転がり込んだ新しい生活に、素直に感謝しているのである。欲がないのか、息子の気持ちがうれしいのか。
ジョンは、そんな不器用な母親が猛烈に愛おしくなった。
「母さん、ごめん。僕がもっとしっかりしてればよかったんだ。情けない思いをさせて、済まない。キッチンのタイルの色だって…。」
「どこか違うの?」
ジョンは、ジェーンには物の違いが分からないことを知った。きっと、年齢だけのものではない。
少しだけ疲れたジョンを見たジェーンは両手を大きく広げた。
「おいで、ジョン。」
態度で見る限り、あれである。
少し躊躇ったジョンは、しかし、立ち上がると、ジョニーとジェーンの間に座った。
ジェーンは、ジョンの両肩に手を回した。
「自慢の息子。可愛い息子。ありがとう。」
優しいハグである。
ジョニーの手もジョンの肩を掴んだ。
「こんな幸せな時間がくるなんて、思ってなかった。」
静かに押し寄せる感情の波に、ジョンが涙ぐむと、すぐにジェーンも続いた。
ジョンは、ジョニーの涙を見たことがない。

ジョンは考えた。
ニーマイヤー・ブラザーズは、うだつの上がらない古い知合いの馬鹿息子が手に入れた泡銭を巻き上げ、社会の不公平を正したぐらいの気持ちに違いない。
親孝行は、本当の親以外には伝わらない。それを実現するのが、親子の情なのである。
必要なのは、ジョンの行動よりは、共鳴できる何か。
やがて、ジョンは思い立った。
庭でキリスト像を彫るのである。
出来る限り、大きいものを。
車で通り過ぎる者が、思わず二度見する程の。
彼の信心深さが伝われば、皆が彼を見る目が変わる筈である。
気がふれたと思う人も出るだろうが、そこは割り切る。
この国の七割を占めるキリスト教徒の大部分が共鳴してくれれば、それだけで十分なのである。
あとは、近所の人達が、最後まで彫らせてくれるのか。それが問題である。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み