第104話 仕掛

文字数 5,167文字

スカーレットとヘクトルとエマの計画では、この後、若者たちはSNSに情報を上げては国に抑え込まれ、更なる噂を呼ぶ。
しかし、想像した通り、第三者には、その噂がどれだけ普及したか分からない程、国の対応は早かった。
拾いやすいテキスト情報には、確かな限界が存在するのである。
最後の仕掛けである動画配信のゴー・サインは勘頼み。
その重責を担うのはエマである。
根拠は分からないが、エマは笑顔で名乗り出た。きっと、勘である。
誰が声を上げるにしろ、スカーレットの指示を受けたゴールドとグレーは、もう、N国で設備投資を終え、指示を待っている。
因みに、ゴールドとグレーは、ローデヴェイクのクローン。
N国を選んだ決め手は、言語がレアである事に加えて、サイバー・セキュリティがこれまでとは逆に恐ろしい程低いこと。
一つの動画を配信し続けられる長さに期待したのである。
そして、肝心の動画。
これまで流してきた情報と、クローンの製造工程を放送に耐える内容にしたもの。プラス・アルファ、新施設のクローン製作エリアのプレゼン資料。
長さはコンパクトに二分である。
重要なメッセージも忘れていない。
“国が議論せずに計画を進めることに反対する人、法廷での議論を望む人は、次の月曜日にブルーのものを身に着けて外出してほしい。”

エマは、毎週火曜日になると、今日がその日でいいかを考えた。
目に見えないところで、三人の撒いた情報は広がっていく。
何処かの誰かがそれを目にして、耳にして、やはり人知れず共感する。
ターゲットは三億を超えるこの国の国民だが、心に国境はない。
一度、立てた感情の波は、静かに、しかし決して消えることなく、広がっていくのである。
エマが考えた判断の基準はセレンディピティ。
射撃をして、どんなかたちになるか。背泳ぎで五十メートル泳いで、どんなタイムになるか。デセールに添えられたベリーの数は幾つか。
エマは、幾つかのゴールを定め、時にその条件を満たし、決行を見送った。
失敗すると、今までかけてきた時間と金がすべて無駄になってしまう。
それは、確かな不安との戦いなのである。

その日も、エマは根拠のない決め手を探していた。
待っていても、普段と違う何かを期待できない。
思い付きで自転車に乗ったエマは、とにかく遠くを目指した。
カーボン・フレームのロード・バイク。
永遠に思える繰返しがスピードを生むと、エマは呼吸だけの世界に入った。
空気が肌を叩き、光がかたちを変え、彼女の目の前を通り過ぎていく。
エマは、とにかく、人の溢れる街並みを走り抜けた。

町を超え、市を超え、数万人を通り過ぎたかもしれないエマは、やがて、予想外の人物を見かけた。
学生時代の友人であるサシャ。ヨシュアと付き合うきっかけをつくった彼女。
ヨシュアが死んでから会っていない親友である。
ガラス張りのブランド・ショップから出てきた彼女が向かうのは、路上駐車する一台の車。
エマがぼけていない限り、サシャの夫のアシュトンである。
エマは、スピードを落とすと、サシャの真横で自転車を止めた。
後ずさりしたサシャの顔は、SNSと変わらない。
「ヘイ、サシャ。捕まえたわよ。」
サングラスをとったエマの微笑みに、サシャも満面の笑みを浮かべた。
「久しぶり!」
二人のテンションは、アシュトンを車から連れ出した。小さく手を挙げた彼の表情は、前に会った時と同じ。
「ハイ。」
そして、サシャが夫を迎える笑顔も、前に会った時と同じ。とろける様である。
口を開いたのはエマ。
「何?デート?」
サシャは、鼻で笑った。
「別にそんなのじゃないわ。覚えてる?メイソン。」
サシャが口にするのなら、それは忘れる筈のないメイソン。果敢にエマに告白し、撃沈した彼である。
エマが小さく笑って視線を逸らすと、サシャは言葉を続けた。
「郊外に家を買ったのよ。今日は、お祝いを買いに来たの。」
口を開いたのはアシュトン。
「子供も出来たからね。あいつは、あれでちゃんとやってるんだ。」
サシャは笑顔を大きくした。
「うちはまだだけど、すぐに追いつくわ。」
エマは、昔聞いたサシャの夢を思い出した。彼女の夢は大家族。
「九人だっけ。」
「九人よ。」
サシャが即答すると、三人は小さく笑った。
サシャの笑顔が曇ったのは、七秒後。口を開いたのは彼女。
「あなたは最近どう?連絡をくれないから、気になってたのよ。」
きっと、二人ともどこかで遠慮していたのである。
「どうって?見ての通りよ。元気が有り余ってる。」
エマの答えに、三人はまた小さく笑った。口を開いたのはアシュトン。
「本当にうちに顔を出してよ。サシャの心配事が一つ減る。」
エマは、笑顔でサシャを見つめた。
自分のいない所で、自分をずっと思っていたサシャの気持ちが嬉しいのである。
エマは、綺麗な顔をつくった。
「OK。サシャのいない時に行くわ。」
三人の話し声は、それから暫く町に響いた。

二人と別れたエマは、幸せな気持ちに包まれて、自転車をこいだ。
頭の中のすべてが、ポジティブに変わっていく。
サシャと会った日には、何か素敵なことが起きそうな気がする。
ただの偶然かもしれないが、考えても、そこに答えはない。
やがて、ブルーに光るステラー・カケスを見送った後、エマは結論に辿り着いた。
決行するのは、今日にしよう。もう、これ以上はない。
家に着いたエマは、顔を洗う前にスマートフォンを手にした。

動画は、次の月曜日に向けて、繰返し投稿された。
タイトルは色と数字の組合せ。
いつ見ても動画は生き残り、閲覧回数は確実に伸びていく。
三人の予想通りのいたちごっこが始まったのは、日付が変わってから。
最初の動画が削除されると、国の対応は急に早くなった。
しかし、キーワードは大量にある。
議論を呼びかける動画は、一週間、SNSを騒がせ続けた。
ヘクトルもスカーレットもエマも、動画が広がっていることを、肌で感じた。
毎日、ネットを検索していたからではない。
道すがら、月曜日にどうするか相談する声を、幾度となく耳にしたから。
感情の波がデジタルの世界から溢れ出したのを、実感していたからである。

迎えた月曜日。審判の日である。
三人は、深夜から街に出る様なことはしなかった。
それぞれがいつも通りの朝に起床し、朝食を終え、街に出ることを選んだ。
理由は分からないが、彼らは、社会の審判を、日常の風景の中に見つけようとしたのである。
そして、スカーレットは見た。早朝のメルボルン・レッドのクーペの車窓に。
ヘクトルは見た。八時に我が家を出た通りに。
エマは見た。十時にロード・バイクで出かけた街並みに、ブルーの衣服を身にまとう人々を。
Tシャツ、ワイシャツ、ブラウス、カット・ソー。
ネクタイ、スーツ、ブルゾン、コート。
ニット、トレーナー、ジャケット、ベスト。
ワンピース、パンツ、スカート、キャップ。
色相、明度、彩度は違うが、特に意識しなくても、街は確かにブルーに満ち溢れている。
顔をブルーに塗り、クローンのことを話す若者もいる。
彼らは、確実に動画に応えているのである。

エマは、手を挙げるとハイ・タッチできる一体感に、成功を実感した。
笑顔が止まらない。
自転車を走らせたエマは、やがて、ブルーの集団が一つの流れをつくっていることに気付いた。
皆が同じ方向に向かっている。
エマの知る限り、その先にはクローン技術最先端研究所が待っている。

そして、ヘクトル。彼には次の仕事が待っている。
ゾーイへの連絡である。
かけるのは、スカーレットから聞いた番号。ボイス・チェンジャーは必須である。
「ハロー、ゾーイ。」
一般人なら電話に出もしないが、ゾーイは違う。
ブルーの集団を見送りながら駅を出たゾーイは、期待した通り、謎の電話に答えた。
ジャーナリストの彼女は、まずは向かい合ってみるのである。
「何?誰?」
話す内容は、予め決まっている。
「僕はガブリエル。クローンのメッセージ入りの紙幣。メールに…。」
「あなたがやったの?」
ゾーイが言葉を被せると、ヘクトルは小さく笑った。話が早すぎるのである。
喋るのは、また一人、ブルーの若者を見送ったゾーイ。
「ねえ、ちょっと凄くない?町中、ブルーだらけよ。」
「そうだね。」
「そうだねって、どうする気?」
「どうなると思う?」
「議論…。OK。テレビね。」
ゾーイは話が早い。そして、喋るのはやはりゾーイ。
「待って。あなたが本物なら、私にも何か出来るかもしれない。」
「どうやったら、本物と信じてくれる?」
「あなたは、何でこんなことをしたの?」
「やらずにいられなかった。皆、知ってるくせに、何もしないから。警察も、テレビも…。」
「OK、悪くないわ。じゃあ、落書き入りのお金は、幾らばらまいたの?」
「一千万ドル。」
ゾーイは、ため息をついて笑った。喋るのは彼女。
「悪くないわ。じゃあ、メールをどの国から送ったか知ってる?」
「君が言ってみて。」
「R国。」
「正解。」
「悪くないわね。決まり。」
「あと一つ、オンライン・ゲームの話は?」
「いいわよ。降参。信じるわ。上と話してみる。どうしたいの?」
ヘクトルは微笑んだ。
「まず、条件が二つある。一つは…。」

クローン技術最先端研究所の所長室にいたスカーレットが、ゾーイの元に電話をかけたのは、ヘクトルから連絡を受けた一時間後。
スカーレットは、騒がしくなり始めた窓辺で、ゾーイが電話に出るのを待った。
ゾーイの第一声は、スカーレットの想像とは少しだけ違った。
「あなたね。」
「ええ、私。久しぶりね。」
「違うわ。今回の一件。」
「どの?」
「面倒ね。クローンの騒動。タイミングが合いすぎてるもの。」
「だから、何のタイミング?」
ゾーイが顔を横に振ったことは、スカーレットには伝わらない。喋るのはゾーイ。
「あなたが前に言ったクローンの軍事利用。あれがSNSで騒がれてるわよね。あの犯人から連絡があったの。ついさっき。私の電話に直接。なんで?」
スカーレットは小さく笑った。
「知らないわよ。でも、あの技術は、こういう騒ぎになる糸口が至るところにあったわ。抑えきれなかった。実は、あなたに今どういう状況か聞きたくて電話したの。」
「今晩のニュースで特集を組みたいぐらいの状況よ。というか、組むの。出れない?」
ゾーイの言葉は、スカーレットがこの数か月間待ち望んだもの。
完全勝利である。スカーレットは、意地悪をしてみた。
「私はいいけど、広報に許可をとって。あと、無事にテレビ局に辿り着けたらね。」
「〇〇〇〇。」
ゾーイの恨み言を一しきり聞いたスカーレットは、電話を切ると、窓の外を眺めた。
打ち寄せる波の様に、通りの遥か遠くから、ブルーの集団が押し寄せてくる。
このままなら、昼過ぎには通りを埋め尽くすに違いない。

一方、スカーレットが見下ろすブルーの波を見送る人々の中には、ロレンツォの姿があった。
国民が動き出したのは確か。
最初にこの光景を見た時、敗北に近い喪失感を味わったロレンツォは、しかし、今では微笑んでいた。
スカーレットのせいか、誰のせいかは分からない。
昨日までは、この後のテロを想像して、不安に駆られていたが、多分、違う。
これだけの反応なら、これがゴールで不思議はない。
まさか、あれだけの大金を投じて、皆で議論することが狙いだとは、想像もしなかった。
それが、彼の笑顔の理由である。
人の波を縫って歩くロレンツォのスマートフォンが鳴ったのは、その時。
スカーレットである。
「今から出かけるの。教えてあげたんだけど、つけに来る?」
ロレンツォは鼻で笑った。喋るのは、笑顔の残るロレンツォ。
「今、どこに?」
「クローン技術最先端研究所よ。」
「行先は?」
「Aテレビ。」
「穏やかじゃないな。何を話すんだ?」
「クローンの動画の件で、犯人との討論番組が放送されるの。それの国側の代表よ。」
「君が?」
ロレンツォの中では、スカーレットこそ犯人である。
スカーレットは、笑顔で言葉を続けた。
「でも、行けそうにないの。研究所の周りを人に囲まれて、一面ブルーよ。」
「それは、僕に助けろと?」
「サイレンでも鳴らしながら来てくれれば、すぐなんだけど。」
「僕が助ける理由は?」
「私が行かないと、クローン技術を擁護する人間がいない。」
改めて、ブルーの波に追われたロレンツォは、電話に集中するために、目に付いた店先に逃げ込んだ。
「弱いな。そもそも、TV局が国を裏切るとは思えない。」
スカーレットは小さく笑った。彼女は、確かな強みを持っているのである。
「私の家への不法侵入の件は、まだ管理官に報告してないわ。」
「それは…。」
ロレンツォは目の合った店主に笑顔を見せた。
考えるのが面倒になったロレンツォは、笑顔で口を開いた。
「了解だ。迎えに行くよ。」
何にせよ、この人数である。今更、無駄な抵抗をするよりは、流れに任せてみた方が面白い。
それが、ロレンツォの生き方なのである。
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