第63話 漂流

文字数 1,757文字

パープルがハンドルを握るキャンピング・カーは、A国C州S市の港町に着いた。
襲われないためには、ノン・ストップが基本である。
走るのは、海が遠く見えるほど広大な砂浜に沿う道路。
通り過ぎていく、ランニングするマッチョとツーリングの集団。
尽きる事のないパステル・カラーの商店街。
波に揺られる無数のヨット。
観光ガイドに乗っているままのS市。目的地である。

港の名前が大きく書かれた看板を通り過ぎたのはそれから間もなく。
パープルは、例によって、スノー・ホワイトの倉庫に車を乗り入れた。
ヒュドールのものである。
パープルは、サイド・ブレーキを踏むと振返った。
「ここからは、クルーザーだ。」
反応したのはアーサーである。
「陸とはここでお別れか。土でも拾って…。」
「よそう。」
マテウスに絡みつかれたヘクトルが口を挟むと、皆は小さく笑った。
ドアを開いたのはエマである。
「武器が山ほどあるの。ここにいる皆が一ダースいたって、持ちきれないぐらいよ。運ぶのを手伝って。」

ヘクトル親子にアンダーソン夫婦。
戦場を知らない四人は、その日、初めて、キャンピング・カーに積まれていた武器を目にした。すべては、その先にいる人間を挫くことが前提の道具。
物言わぬ鉄の塊は、ヘクトルとアーサーに緊張、ビクトリアに恐怖、マテウスに興奮を与えた。

サミュエルが購入したクルーザーは、I国製の大型クルージング・ボートである。
長さ三十メートルを超えるスケール感は元より、内装に凝らした贅は、キャンピング・カーの比ではない。
唯一操縦できるパープルがコックピットに上がると、残る五人はメイン・サロンになだれ込んだ。
アーサーとビクトリアはソファに体を埋め、ヘクトルとエマは周囲を探った。
誰よりも興奮したのはマテウス。
揺れない大きなテーブルは、ブレインをこよなく愛する彼にとって、貴重過ぎるのである。
マテウスは、対戦相手にエマを選んだ。マテウスが対戦をしていないのは、もう彼女だけなのである。
「エマ、遊ぼう。」
マテウスにしがみつかれて、断れる大人はいない。
「よせ、マテウス。エマは疲れてる。」
ヘクトルが気を遣うと、エマは優しく笑った。
「いいわ。それより、マテウス。あなたは気を付けて。私は、どんな手を使っても、あなたを叩きのめすわよ。」
マテウスは絶叫した。真剣勝負。それこそ、彼が望むものである。

間もなく、港を離れたクルーザーは、沖合に出ると錨を降ろした。
夕食の準備もパープル。この船に詳しいのは彼だけなのである。
背後から覗いたのはアーサーとビクトリア。喋るのはアーサーである。
「手伝おうか。」
「いや、間に合ってる。焼くだけだ。」
パープルがクーラーから出したのは、冷凍のパイの詰合せとオマール・エビ。
基本は冷凍食品である。
「ストックはどのくらい?」
アーサーの質問に、パープルは小さく顎を上げた。
「食事は二週間分だな。ガソリンの補給と併せて、一番のネックだ。」
ビクトリアは、既にプレートにのるシャンパンとチーズに目を付けた。
ペリエ・ジュエとヤギのクリーム・チーズは悪くない。
「お酒はどのぐらい?」
パープルの答えは早い。
「それは人によるな。命がけで採りに行くかどうか、後で相談だ。」
三人は、顔を見合わせると、静かに微笑んだ。
その後の夕食。
アーサーのジョークが止まらないのは相変わらずだが、小さな事件が一つだけ起きた。
見た目に誘われたマテウスが、ヤギのチーズに手を出し、臭いに悶絶したのである。
エマは、久しぶりに声を出して笑った。

時が過ぎ、マテウスを寝かしつけると、五人はアッパー・デッキに上がった。
海から見る夜の岸辺は、人家の灯りに彩られる。
パープルは、改めてシャンパンの栓を抜き、皆のグラスを満たした。
人生で最高に優雅な時間の筈が、そうではない。
目の前を彩るのは、五人が諦めた世界なのである。
潮風に吹かれたヘクトルは、小さく呟いた。
「いつまで、続くんだろう。」
誰にも分からない問いかけに答えたのはエマ。無視は出来ないのである。
「少なくとも、ショーン・クレメンスのコマーシャルが終わるまでは。」
それこそ、いつになるか分からない。
真剣なエマの顔を見ると、皆は小さく笑い、やがて、その笑いを消した。
聞こえるのは、波と風の音だけ。
猛烈な不安に襲われ始めた五人は、静かにシャンパンを飲み続けた。
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