第95話 英雄

文字数 2,288文字

不意に傷つけられたエマは、時間がたつに連れて、ヘクトルの言葉を理解し始めた。
まずは誰も傷つけなければいい。それだけである。
エマは、何も言わずにスカーレットに手を伸ばした。
固い握手。それ以上の言葉は要らない。
スカーレットは、エマの手を握ると、何度も謝った。スカーレットの目にも涙が浮かんだのは、ヘクトルにとっても、小さな救いになった。

五分で笑顔を取り戻したエマは、ソファに深くもたれると足を組んだ。
余所行きの彼女は終了。三人は、運命共同体なのである。口火を切ったのはエマ。
「それじゃあ、ゼロから考えましょう。電波ジャックなんて、アナログの頃じゃないと無理よ。システム的に、デジタルは無理。ワイヤレスの緊急警報システムの情報量もメールのタイトルぐらいよ。皆が絶対に目を通すかもしれないけど、セキュリティが厳しいわ。どうやって、機密を暴露して回る?案は?」
エマはプロなのである。答えたのはヘクトル。
「車からスピーカーで流すのは、止めた方がいい。聞く側と速さが合わないと、ほとんど何も伝わらない。音を大きくすれば、警察が集まるし、止まったら猶更だ。」
エマは眉を上げた。
「そう。却下ね。」
スカーレットも微笑みながら口を開いた。
「ビラ配りは?アナログだけど確実かも。手渡しだと駄目だけど、高い所からタイマーで撒くのよ。クローン工場の写真でもつければ、やれないことはないわ。」
エマは小さく笑った。
「人を殺したくないんでしょ?ビラを道路に撒いたら、事故が起きるわ。」
スカーレットは、微笑みを返した。
「あなたのアイデアは?」
スカーレットを指さしたエマは、改めて微笑んだ。
「紙を配るんなら、お金よ。メッセージをプリントして、大量に流すの。サミュエルから貰ったものを最大限に活かすの。絶対に誰も捨てないし、何より安全よ。情報量は限られるけど。」
ヘクトルは何度か頷いた。
「範囲が限られてもいいんなら、SNSもありだ。クローン技術はNGだろうから、すぐに削除されるけど、効果はゼロじゃない。」
スカーレットも続いた。
「それなら、メールもいけるわ。ポイントだけ、タイトルに書くの。ファイルを開かなくても、タイトルは見るでしょう。」
ヘクトルの頷きは止まらない。
「オンライン・ゲームのチャットもいい。」
エマは、笑顔で二人を指さした。
「でしょう。考えるの。一つ一つだと駄目でも、それを重ねるの。段階を踏んで、ゆっくりと広める。」
ヘクトルとスカーレットの視線を集めながら、エマは言葉を続けた。
「まずは、お金ね。効果が一番長く続くわ。ポイントは、クローンの情報とクローンに関係しないキーワードを書くこと。大量に書いて、大量に回す。それからメールよ。お金の噂が先に流れてたら、ただの迷惑メールとは思われないわ。それから、オンライン・ゲーム。これなら、多めの情報が流せるわ。子供の心に火をつけるの。子供が自分で情報を発信しだしたら、こっちの勝ちよ。情報が消されても、何か異常な事が起きてるって分かる筈。友達同士の生の噂が広がるわ。それから動画。タイトルには、お金に書いてた情報を書くの。クローンとは関係しない方のキーワードよ。消されても、繰返しアップする。探してる人間がいる筈だから、上手くいく筈よ。」
スカーレットは何度か頷いた。
「悪くないわね。」
「ああ。いいと思う。」
ヘクトルも相槌を打つと、エマは笑顔で言葉を続けた。
「じゃあ、どんな情報を流す?説教臭いのは止めた方がいいわ。私なら無理だもの。」
スカーレットは微笑んだ。
「一方的な情報を流す気はないわ。皆が事前に知って、議論できる様にしたいの。」
エマは頷いた。
「ポイントは、世間話の殻を破る事ね。ベトナムでもあれだけ続いたのよ。オフィシャルにしないと。皆が議論したいって、どこかで気持ちを示せないと。」
口を開いたのはヘクトル。
「身に着ける物の色を決めたら?前に調べたんだ。大体、五パーセントが同じ格好をしたら、大流行してる様に見えるんだ。統計だと、A国人はブルー好きだ。日を決めて、議論に賛成する人はブルーのものを身に着けてとか。」
エマは微笑んだ。
「調べたことがあるのが気持ち悪いけど、いいわね。」
スカーレットは、彼女が持つ確かな武器を思い出した。喋るのはスカーレット。
「そこまで来たら、機密の壁は壊れてるわ。友達に頼んだら、普通に報道してくれるかもしれない。」
彼女が思い描いた友達とはゾーイ。ヘクトルも知らなくはない彼女である。
しかし、エマの発想は甘くない。
「テレビが国の軍事作戦の内容を追求するとは思えないわ。あくまでも、お金やSNSの噂をターゲットにしないと。」
スカーレットは首を傾げた。
「クローン技術のゴシップを流した犯人とテレビが対立するならどう?エンターテイメントの要素もあるし、テレビがベビー・フェイスになれる。抵抗は少ないかもしれないわ。」
ヘクトルは、何度も頷いた。
「テレビの放送の間だけなら、オンラインでも安全かもしれない。でも、議論が思った通りに進むかな。」
エマは、救いを求めてスカーレットを見つめていたが、やがて、小さな事実に気付いた。
「あなたが国の代表として議論に出れば、間違いないわ。所長だし。適任よ。」
悩めるスカーレットの表情は、きれいに晴れた。
「ゾーイに言わせてみせるわ。」
ヘクトルは、エマを見つめた。彼女は、本当に頼れる。サミュエルの判断に、間違いはないのである。
「面白い。首謀者が責められる側で発言するなら、思った通りに話は進む。じゃあ、僕が犯人をやるよ。」
エマは、笑顔で言葉を添えた。
「犯人じゃないわ。成功させて、英雄になるのよ。」
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