第84話 決意

文字数 2,765文字

夜の教会。小さな駐車場に、神父のものではない車が、二台停まっていた。そのうちの一台は、スカーレットのメルボルン・レッドのクーペである。
この場所を選んだのはスカーレット。理由は、神父に謝礼を渡すと、礼拝堂を貸してもらえるからである。
そして、スカーレットが呼び出した相手は、彼女の大学時代からの友人。ヘクトルの連絡先を彼女に教え、ヘクトルの要望に応えて、報道の力でジョンを非難し、後日、復権して見せたゾーイ・ヤングである。
大学時代、ブレイズ・ボブでブラックのゾーイと、ブロンドでコケージャンのスカーレットは、一見して不似合いだったが、プーシキンが好きという共通点で固く結ばれていた。
ゾーイが惹かれたのはそのルーツ、スカーレットが惹かれたのはその決闘のエピソード。
貸借りした原語の書籍に書かれた詩は、彼を語るための道具に過ぎなかった。
若い日の二人は、互いの知性を競うことに、喜びを感じていたのである。

礼拝堂の長椅子に並んで座った二人が話し始めてから、彼是、三十分。今まさに話しているのはスカーレットである。
「感情だって、電気仕掛けなんだから、機械と人間に差はないわ。複雑な表現が出来れば、機械だって壊すのはきっと皆耐えられない。CGだって同じよ。人間の呼びかけに反応すると、おそらく触れるかどうかは問題じゃない。コミックの二次元世界だって、逆に、読者の反応が大きい精神のうねりの様になって、主役級を殺せば大騒ぎよ。」
「全部、反論がほしいんなら出来るけど、必要?」
「ありがとう。確かにそんな話をする気はないわ。」
「つまり、全てにおいて、他の存在を傷つける様な行為は否定できる。だから、それは言うか言わないかの次元の問題ね。」
スカーレットが頷くと、ゾーイは言葉を続けた。
「今、問題なのは、あなたのプロジェクトの方よ。死刑囚の臓器を寄せ集めた感情や記憶力のない有機体に、AIの脳みそを載せて、人を殺すロボットにする。この計画を潰すかどうかでしょう。軍事利用が酷いなんて誰でも分かる。でも、そういう可能性があるとすれば、世界で最初に実現して、大多数を確保して、仮想敵国に対して、絶対的に優位な立場を確立した上で使わない。おそらく、それが一番平和な選択肢なのも分かるでしょう。国民の数と関係ない。戦死者が出ても反対運動が起こらない。恨みに思って、国境で勝手に戦争を起こすこともない。白兵戦の最強の兵器よ。空母や戦闘機、戦車、潜水艦、ミサイルを使う様な作戦は経済規模のままだから、一か月もせずに決着するわ。今の時代の一番の問題はその後。無人爆撃機で攻撃して、建物にこもったらクローンで白兵戦。使わない前提で、この国がやるべき開発だと思うわ。」
スカーレットは、自分が考えたことのある解答をゾーイが並べたので、一先ず安心した。
しかし、ゾーイの答えには重要な部分が抜けている。
戦場に出なくても、生まれる過程が問題なのである。
二人の会話は、まだまだ終われない。口を開いたのはスカーレット。
「ただ、そのために、何かが欠けた生き物を、人間が好き勝手に生み出していいと思える?少し目線は変わるけど、オリジナルも死刑囚ばかりよ。」
「欠けてるって発想は主観的だと思うし、死刑囚は死刑囚になるために生まれたわけじゃないでしょう。人工知能と人間の脳の差は?戦争をしない時に、普通の生活ができる様な情報を与えればいいじゃない。」
「つまり、戦う振りだけ?」
「そう。」
「それに何か意味がある?」
「核兵器と同じ。」
「核兵器は、本当に使うことを一度アピールしたから抑止力があるのよ。つまり、一度は彼らを戦場に出さないといけない。」
言葉を投げられたゾーイは、しかし、口を閉じ、何かを言いそうなスカーレットの言葉に耳を傾けた。喋るのはスカーレット。
「さっきの質問の答え。私には人工知能と普通の脳の違いが分からないのよ。つまり、殺人だけが目的の人間を、本人が拒絶できない状態で、自分がつくってる様に思えるの。」
ゾーイは、スカーレットの話が、今までと大差がないと判断した。
「何度も言うけど…。」
同じ話を繰返すのは、彼女の気持ちが通じないから。スカーレットは、想像がつき過ぎるゾーイの言葉を遮った。
「少なくとも、私のつくったクローンは本能で逃げたわ。」
この夜の二人の間に生まれた初めての沈黙ができたのは、ゾーイが疲れたから。
呼び出しておいて言葉を遮るのは、ゾーイにとって、明らかなルール違反なのである。
口を開いたのはゾーイ。
「あなたの中に答えがあるのは分かったわ。最初から私に聞かなきゃいいのよ。それに、こういう議論の前に、その研究は軍事機密でしょう。何故、私に話すの?私は放送局に努めてるんだから、報道するわよ。それで、あなたは犯罪者になるの。分かるでしょう。」
「犯罪者にならないために、少しでも多くの人に事実を伝えて、共感したいのよ。」
ゾーイの眉間に皺が浮かんだのは、彼女だけが知っていることがあるから。
ゾーイは、親友のために、その理由を口にした。
「ごめんね。スカーレット。この件は報道しない。出来ないわ。皆、知ってるの。設備投資の資料が局に持込まれて、一度会議になったわ。すぐに警察が来て、資料は押収されたし、箝口令も出た。もう終わった話なの。分かるわよね。」
スカーレットが沈黙を守ると、ゾーイは言葉を続けた。
「きっと、大変なのよね。研究所で直接言えないんでしょう。止めようとしたって、人だけが変わって、次の人が同じことをするだろうし。スタートの時の資料だけ残して、決まったことにして、誰も考えずに物事を進めてしまうわ。」
スカーレットが小さく頷くと、ゾーイも頷いた。喋るのはゾーイ。
「あなたの与えられた立場で、あなたの出来る限りのことをやる。それが、社会の仕組みでしょ。」

スカーレットは、晴れやかな気持ちで教会を後にした。
ゾーイとの会話は、スカーレットに小さな勇気を与えたのである。
自分の与えられた立場で、自分の出来る限りのことをやる。正解である。
それが、今まさに彼女が起こした行動。
スカーレットは、今の立場のまま、クローンの軍事利用の是非を世に問うのである。
スカーレットの思考回路は、ゾーイの言葉をトリガーとして、ゾーイが示したのとは逆の道を選んだ。
不可解だが、それがスカーレットなのである。
しかし、スカーレットが実感したのは、親友一人さえ動かせない自分の非力。
何かを成し遂げるためには、力が必要なのである。
スカーレットが最も近くに感じる強大な力は、サミュエル・クレメンス。
サミュエルは、ヒュドールの資金を自由に使える絶対的な存在である。
スカーレットが彼を近く感じたのは、彼の協力を得る方法に心当たりがあるから。
サミュエルが特別と思っている存在。
ヘクトル・ピウス。彼に頼るのである。
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