第44話 予感

文字数 1,087文字

その日のヘクトルは、リビングのテレビをつけたまま、ハーブをブレンドしていた。
アッサム・ティーにローズマリー。
定番である。
テレビが点いているのは、子供番組の流れ。正面に座るマテウスは、いつもの通り、ブレインに夢中。いつもの昼前である。
理由もなく微笑んでいたヘクトルは、間もなく始まったニュースに、何となく、耳を傾けた。
「次のニュースです。昨日、午前十時頃。N州H郡のM駅前の広場で、殺人事件が発生しました。」
物騒だが、子供の耳にも珍しくはない話である。
ヘクトルは、ハーブの香りを鼻腔に送った。
「二人組の犯人は、広場で会社社長のヨシュア・コーエンの首を切断した後、車で逃走しました。間もなく、歩道に乗り上げた車は、店舗に衝突して、大破しましたが、二人は逃走し、一人が居合わせた軍関係の女性に取り押さえられました。その時の監視カメラの画像が、…。」
テレビがそこで消えたのは、走ってきたヘクトルのせい。
マテウスには、ヘクトルの反応の方が驚きである。
消えたテレビを一瞬だけ見たマテウスは、ヘクトルに視線を戻して微笑むと、ブレインの世界に帰って行った。

ヘクトルは、キッチンでハーブ・ティーを煎れると、改めてリビングに戻った。
ソファに座って喉を潤し、首を温める。それはヘクトルに欠かせないこと。
ヘクトルは、ブレインの下敷きになっていた新聞を引抜いた。
一面を飾るのは、さっきのニュース。異論はない。
ヘクトルは、斜めに目を通した。
写真は駅前の広場の上空写真と大破した車。
死者二名の小さい写真も載っている。
一方は小さく、パスポートの写真に見える。もう一方の写真は、行楽地で微笑んでいる様。
優しい微笑みである。
そこでヘクトルは気付いた。
新聞の画質は荒いが、それは間違える筈のない人物。
誰がどう見ても自分である。
ヘクトルは、マテウスを手招きした。
親に全幅の信頼を寄せる彼のタックルは強烈である。笑顔で仰け反ったヘクトルは、マテウスを抱き直すと、新聞を見せた。
「ヘイ、マテウス。質問だ。これ、お父さんに見えるかい。」
マテウスは、新聞を眺めると、指で一か所を指した。写真。まずはそこからの確認である。
「そう、それだ。お父さんだと思うかい。」
マテウスは、もう一度、写真を見つめた。
何を忘れたのか、ヘクトルの顔をもう一度観察してみる。笑いがこぼれたヘクトルの表情は、まさに写真のそれである。
ヘクトルと新聞を何度か行き来したマテウスの顔は、やがて、ヘクトルの方を向いて止まった。
「お父さん、すごい。」
聞いてみただけである。万人がそう思う筈。
ヘクトルは、はしゃぐマテウスを解放すると、記事を最初から読み直した。
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