第35話 帰国

文字数 1,719文字

I国のA国軍駐屯地を出た軍用機が、今まさに、エマ・ハリスを母国に送り届けようとしていた。

エマの祖父は、中東系の軍事コンサルタントを務めていた頃、I国のクーデターを実現させたことで有名。政治家のパーティーに欠かせない人物だった。
父親は、その逸話に憧れて、A国陸軍士官学校に進学した。
エマを軍に誘ったのは、その父親の輝かしい経歴である。
彼は、陸軍歩兵学校、G大学での修士号の取得を経て、空挺部隊の軍事顧問になった。
幾度かの従軍の末、I国の内戦に准将として参戦。
身を隠していたC大統領を急襲する作戦を指揮したのが彼。
娘である彼女が、目を輝かせたのも無理はない。
やがて、自分では母親似と思っていたエマも自然と入隊。
軍隊にいても、人を殺すよりは助けたい。
そんな気持ちで、高危険度IED処理の資格をとり、爆弾処理班に配属になった彼女だが、白兵戦も苦手ではない。少なくとも、スパーリングで同性に負けることはない。血筋である。
有名な女優に似ていたので、間違いなく美人である。
軍隊で鍛え上げた肉体も、所謂アスリート体形なので、服を選べば目立たない。
両手首・両足首には小さいハートのタトゥー。爆弾処理に失敗したときの備えである。
キャロット・トップの髪の毛を後ろにたばね、ティア・ドロップのサングラス。
若いが洒落っ気はない。それがエマである。

エマが帰国の途に就いたのは、久しぶりの休暇のため。
二週間である。
予定は、恋人のヨシュアに会い、ヨシュアと話し、ヨシュアと笑い、ヨシュアと遊ぶこと。
すべてはヨシュア一色である。
軍人は、命を奪うブレーキが壊れていて、浮気をされると本当に自殺する事があるらしい。
首を吊り、幾ら止められても足で抵抗して、そのまま死ぬとか。
稀に聞く、死んでやるの一言を、体がそのまま実行できるのである。
エマは、そこまでの事はしないし、出来ない。
彼女なら、ヨシュアが浮気をしていたら、まずは叩きのめす。
最初の一撃にすべてをかけ、戦意を喪失するレベルで鼻に決めれば崩せる。
イメージ・トレーニングは万全である。
但し、ヨシュアと付き合い始めてから三度目の帰国だが、その成果を披露する機会はまだない。
多分、一生、そんな日は来ない。そう思えるのが、エマにとってのヨシュアなのである。

間もなく、傾斜した軍用機がA国の大地を滑ると、エマは順番を待ち、タラップから地表に降立った。
この国の匂いは相変わらず。ホワイトのTシャツ一枚では肌寒いのも、去年の今頃と同じ。
大きく深呼吸したエマは、機内で脱いでいたブルゾンに袖を通した。
タフな男女に並んで足を進めたエマは、ポケットからスマートフォンを取り出した。
人の流れは止められない。
歩きながら非通知にすると、エマは、ヨシュアの名前をタップした。
ヨシュアが出るまでにツー・コール。
微笑んだエマは、声色を変えた。
「エマ・ハリスを知っているか?」
それは、エマがエア・メールで予告していたこと。自分と会うためのハードルを設けたかったのである。
裏切らないヨシュアに驚きはない。
「ああ、知ってる。素敵な娘だ。君も知ってるのか。」
エマは笑った。もう合格である。
「彼女に会いたかったら、今すぐ、D空港へ来い。」
低そうで低くない。男の声の真似をする女ぐらい。イメージの掴めないヨシュアは小さく笑った。
「間に合ってる。」
「〇〇〇〇。」
エマも元気に笑った。

入国の手続きを進める間も、エマはヨシュアと話し続けた。
まずは再会の時間と場所。I国にいる間、ずっと話し続けた夢の瞬間だが、もう一度確認。
大切にしたいのである。
場所はヨシュアの家の近所の駅。
幾度となく通っているが、久しぶりである。
エマは、顔から軍人の色を完全に消すと、若い娘の顔を取り戻した。
電話を切ったヨシュアも幸せ。多分、他の誰よりも。戦地の力である。
エマが軍を止めるのが正解かもしれないが、二人にとって、それは違う。
なぜなら、軍にいるのがエマなのだから。
完璧にやれば、大丈夫。エマならやれる。
若い二人には、何も怖い物はないのである。
ただ一つ、二人に不安な点を挙げるとすれば、ヨシュアの姿かたちが、ヘクトルやアーサーと何一つ変わらないこと。
そして、本人がその事実を知らないことである。
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