第111話 挑戦

文字数 1,899文字

アイクは深い森の中にいた。
男に腕をとられたアイクが、地面に顔を押付けられてから、暫くになる。
喋るのは男。決して屈服しないアイクへの説教の途中である。
「思い出せ、アイク。恋人のいるエミリーにお前が付きまとった時だ。警察にも通報された。もう少しで訴えられそうになった。その次はアンジェリーナ。彼女の恋人の家の庭で、お前は銃を撃った。」
別の声がしたのは、男の仲間が近付いてきたから。
「僕達は、君を監視してるわけじゃない。本当に、全く気にしてなかった。だから驚いてるんだ。君は、僕達が見る限り、空っぽだ。恨んでもいない相手を、何の正義もなく、気持ちのままに攻撃できる迷惑な男だ。」
続いたのは、もう一人の声。
「アイク。ビールとテレビの生活に戻りたいか。それも僕達が与えた生活だが、何か意味を感じたか。考えろ、アイク。君はここに居て、何の衝動もなく平和に暮らせば、何の問題もない男なんだ。」
ただ一人、森の中で一生を終える。
確かな不安に、アイクは、土を噛みながら叫んだ。
「何を訳の分からないことを言ってる!人の一生を、他人が勝手に決めつけていいのか!そんな権利が、お前らにあるのか!何が衝動だ!俺が本当に誰かを傷つけたか!俺は常に自分を管理してる!人に何か言われる覚えはないんだ!」
喋るのは、アイクの腕を持つ男。アイクを抑えるために力を入れる彼は、声を少しだけ揺らした。勿論、アイクが暴れるせいである。
「あれだけのことをして、後悔していない様に言う男を、放っておく奴がいると思うか。少なくとも僕達は違う。」
アイクは、決して諦められない。
「とにかく決めつけるな!俺には俺の考えがある!俺は、勝手に終わらせちゃ、駄目な人間なんだ!」
アイクのもがく音ばかりが聞こえた後、男の一人が静かに口を開いた。
「分かった。じゃあ、君を元の生活に戻したとして、一体、何をするって言うんだ。」
腕を締付ける力が緩んだのは、男がアイクに自由に喋らせるつもりということ。
アイクの顔は綻んだ。
それは小さな勝利。何かを手に入れる喜びに、アイクは飢えているのである。
昂るアイクは、震える声で答えを口にした。
「人の一生は、何と決まってるもんじゃないんだ。筋書きなんてなくて、毎日を自分で選ぶ。生き方次第だ。将来に希望をもって、全力で努力して。怒って、笑って、泣いて。それは、その人だけのかけがえのないストーリーなんだ。大切な人一人の人生は、他の皆にもほんの小さなきっかけで影響する。皆で心を一つにすれば、その輪はどんどん広がっていく。それが皆の時代なんだ。意識するものじゃない。誰のものでもないし、誰の勝手にもならない。全ての人の人生が尊くて、美しい。奪われていい人生なんて、この世には存在しないんだ。」
アイクの言葉が終わっても、男達は何も言わなかった。
「おい!そうだろう!俺が間違って…。」
アイクの魂の叫びは、頭にかぶせられた袋のせいで、呻き声に替わった。
袋の中に溶剤の臭いが満ちたのは十秒後。
男達は、アイクと遭遇した時のために、備えていたのである。
アイクは、薄れゆく意識の中で、男の言葉を聞いた。
「アイク。君の演説の評価を教える。具体性がないから、却下だ。君は、元の世界に戻っても何もしない。そうやって、自分一人が正しいと思い込むだけだ。」
アイクは、か細い声で、それでも自分の気持ちを伝えた。
「やかましい。誰にも俺の自由を奪う権利はない。俺は正しい。」
男は、アイクの耳元で囁いた。
「アイク。ブレンダンのために祈れ。」

アイクは目を覚ました。例によって、眠っていた時間は分からない。
取敢えず、場所は気絶する前と同じ。燃え尽きた森である。
辺りを見回しても、男達の姿は見当たらない。
ゆっくりと立ち上がったアイクは、真っ直ぐ砂浜に戻ると、服を着たまま、海に入った。
特に理由はないが、敢えて言うなら、煤が気に入らなかったかもしれない。
静かに波に揺られたアイクは、やがて、海に大きくせり出す岩壁を眺め、そして睨んだ。
本当に死ぬまで一人かもしれない。
ただの不安が現実味を増してくると、彼の闘志に火がついたのである。
やらずに諦めることは、ありえない。
アイクは砂浜に上がった。少ないが、持っていかなければならない荷物がある。
泳ぐので、荷造りにも工夫がいる。
濡れるアイクは、リュックの中身を選びながら、何度か岩壁を見た。
岩肌が鋭かろうと、海流が早かろうと、サメがいようと、それはまた先の事。
元の生活に戻ったところで、何も待ってはいないが、それもまた別の事。
世界にたった一人しかいない特別なアイクは、自由を勝ち取らなければならない。
とにかく、それだけは絶対なのである。
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