第52話 盛装

文字数 3,278文字

ジョンが手元に残した金は、ほぼ二十万ドル。彼が求めているのは、他人によく思われるための服装。まずは現実味のある夢である。
自動車工場で働く父の服装は、幼い頃からずっと同じだった。子供の口からも、お世辞にもお洒落とは言えない代物。
しかし、幼い日に感じた愛情の力は絶大である。
楽しそうな父、疲れた父、張り切る父、リラックスする父、優しい父、怒る父。
その全ての光景が、父親の装いを許すのである。
元より親への依存の大きいジョンの服装は、結果的にほぼ常に同じになった。
デニム生地のシャツにコーデュロイのパンツ。父にとっての正装である。

その日のジョンは、両親に声高らかに宣言した。
「聞いてほしい。今日、僕は服を買う。」
両親は、三十過ぎの息子の顔を見つめた。口を開いたのはジョニー。
「買えばいい。誰も裸でいろとは言わない。」
ジョンがジェーンに視線を移すと、ジェーンも頷いた。喋るのはジョン。
「そういうことじゃない。意味が違う。例の計画だ。」
馬鹿ではない両親がなんとはなしに頷くと、ジョンは二人を指さした。
「職人の気を惹く話さ。服。服ならどうかって。」
ジョンは、二人の頷くピッチが少しだけ早くなるのを感じた。
「結局、ハンバーガーは安かったんだ。つくってる方はメニューを準備してるんだし、驚きようがない。やっぱり、或る程度、高くないと。」
口を挟んだのはジョニー。
「馬鹿じゃない様だな。」
余りの言われ様に、ジョンは笑顔を返し、ジェーンと顔を見合わせた。
優しい母親の表情は、ジョニーと同じ。決して、笑ってはいない。
ジョンは、本題を切り出した。
「一着百ドル以上の商品に限定する。職人の日給ぐらいさ。一つじゃ知れてるけど、何着か買えば、きっと目を引くよ。」
ジョニーは顔の皺を増やした。
「お前は、そのセンスがないんだろう。金をばらまいて、ゴミを集めてどうする。」
ジェーンも続く。
「あなたは、センスがないのよ。」
ジョンは、二人を両手で同時に指さした。
「まあ、明確な反対意見はないということでいいかな。」
それは、ジョンの想像がもっと酷かったということ。喋るのはジョン。
「一式、揃えてもらう。僕に必要なのは店選びさ。」
応えたのはジェーン。
「好きになさい。でも、見た目にお金を使うのは違うと思うわよ。」
ジョンは言葉を被せた。
「見た目で誤魔化しても、いずれはボロが出る。間違った先入観を与えずに、自分を正しく伝えて、心から理解し合う。素晴らしい教えだよ。ありがとう。ただ、今じゃない。今は、少しでも多くの人に、何なら誤解してもらいたい。僕は素晴らし過ぎるって。」
両親の動きがないと見ると、ジョンは言葉を急いだ。
「いいかい。深く付き合える人間の数なんて知れてる。すれ違うだけなんだ。僕みたいなのは、よっぽど飾らないと、いることにも気付かれない。何をするにも、見た目は大事なんだ。」
ジョニーの首はゆっくりと傾いた。喋るのは、斜めの彼。
「まあ、好きにするんだな。でも、いっとくぞ。お前はダサい。大体、顔が俺と同じだ。」
ジョンは、頑なな親の言葉に、しかし小さな愛情を感じた。

A国T州S郡には、アウトレットのショッピング・モールがある。
幼い頃から、服が小さくなると、隣りの郡のそのモールに足を運んだ。
大人になってからは、袖や襟が擦り切れた時。
必要に応じて、必要なものが揃えられる。そんな場所である。
しかし、今日の彼の行先は違う。
ブランド・ショップが立並ぶA郡のメイン・ストリート。おしゃれの中心地である。
案内板には、何となく聞いたことのある名前。
期待通りである。

ジョンが足を踏み入れたクールな空間の店員は、ジョンより十歳は若かった。
服装は分からないが、丁髷がジョンのセンスとは絶対に違う。ただ、それが彼の求める物である。
「ヘイ、ちょっと。」
ジョンが声を上げると、店員は、近付きながら口を開いた。
「ヘイ、スライ。心配いらないよ。」
馬鹿にしている気もするが、そんなものかもしれない。ジョンは、言葉を続けた。
「僕に似合う服が一週間分欲しい。上から下まで。全部、一つ百ドル以上にしてくれ。」
最高の客の筈である。
男は手を伸ばし、ジョンの手を握った。
「いいよ、エース。出所したてでも構わない。」
手を好きに揺すられたジョンは、顔を引き締めた。彼は客なのである。

男は、ホワイトのシャツの並ぶアイランドに進むと、流れる様に一つのシャツを手にした。
開襟のホワイト・シャツ。
可もなく不可もないジョンが頷くと、男は同じものを七つ選んだ。
「ちょっと、それは…。」
ジョンが口を挟むと、男は声を被せた。
「答えは一つだよ。当たり前だろ。」
間違ってはいない気がしたジョンは、小さく頷いた。
次はパンツ。色の違う八部丈のパンツが四本。色が違えば、口も挟めない。
「キックは?」
「蹴り?足?」
「スニーカー?革靴?」
「何でもいい。」
男は、ジョンの古びたスニーカーを見ると、革靴を選んだ。とにかく、今の彼が気に入らなかった可能性はある。
店員がもう一人現れ、ジョンの手から品を受け取ると、男はもう何も聞かなくなった。
ベルトにカフス・ボタン。ハンカチーフに香水。
「ヘイ、ヘイ、ヘイ。」
ジョンが声を上げると、男は香水を棚に戻した。それは間違っていない。口を開いたのは男。
「あとは髪かな。とにかく短く刈るんだ。金があったら、バカでかい金時計もいる。全部、この通りで揃う。」
「問題ない。」
ジョンの妙に真剣な目付きに、男は小さく笑った。喋るのはジョン。
「下着も頼む。百ドル以上なら、何でもいい。」
男には、ジョークとして成立した。
「逆にここにはないな。ワン・ブロック南の下着屋に行くといい。男物でいいよな。」
ジョンは小さく笑うと、顔を横に振った。
揺れた男は、ジョンの全身を眺めると、真剣な目で言葉を加えた。
「タトゥーを入れたらどうだ。首元から覗くとクールだ。」

香水とタトゥー以外のすべてを受け入れたジョンは、家に戻るとファッション・ショーを始めた。
客は、渋い顔のジョニーとジェーン。
変わるのはパンツの色だけだが、年老いた両親は付き合った。
勿論、何が起きなくても、二人はソファに座りっぱなしである。
得意顔のジョンを見て、口を開いたのはジェーン。
「立派よ。素敵ね。」
放っておけなかったのかもしれない。ジョニーも黙ってはいない。
「まあ、金がかかったのは分かる。」
金時計の力は偉大である。
三十歳を過ぎたジョンには、痛々しいイベントだが、本人にその気はない。
幼い日を思い出したジョンは、やはり嬉しかったのである。

ジョンが近所に繰り出したのは翌日。
何をするでもなく、練り歩くのである。
一瞬、人目を引いている気は確実にする。意味がなくはなかったということ。
ジョンは、翌日も、そのまた翌日も、輝く服装で出歩いた。
そして、通り過ぎていく顔が変わらなくなった頃、ジョンはある事実に気付いた。
一定数、生息する派手な女性。
彼女達が、自分を変に長く見る様になったのである。
目が合うと、離れない。知り合いかと思う程である。
そうと気付いた日の夜。ベッドに入ったジョンは、猛烈な自己嫌悪に襲われた。
金持ちとして認識されている自分が着飾り始めた。
異性の関心を引こうとしていると誤解して、当たり前なのである。
突然、金時計が猛烈に許せなくなる。
何かの尺度でおしゃれとしても、金の力をひけらかしている。
ジョンは、そんな下品な男ではないのである。
妄想の止まらないジョンには、やがて、ブランドものの服も金時計に見えてきた。
すべてが、まったく彼が期待していたこととは違うのである。
布団を避けては被る。
何かせずにはいられないが、時間的には寝るべき。
不器用な悩みに、無駄な動きを繰返したジョンは、とうとうパソコンを開いた。
投資した金が、一切の誤解を与えない方法を考えるのである。
NGOの活動報告にエンディング・ノートのサンプル。
ネットには、材料が溢れている。
深夜を過ぎ、やがて、ジョンの脳裏に浮かんだのは、分かり易い親孝行だった。
実家のリニューアルである。
次は、何をどの様にリニューアルするべきか。それが問題である。
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