第4話1 土蜘蛛の長

文字数 981文字

「清正さまー!」

 手を振りながら駆けてくるのは僕に仕えている翠寿だ。


 翠寿は人ではない。

 八岐という人外の化生だ。その中でも人狼と呼ばれている。

 狼のように鼻が利き、小さな音も聞き漏らさず、身軽で素早い動きを得意とする。

「お風呂のよーいができただらぁ」
「ありがとう」

 ほの香姫に掴まれていない左手で翠寿の頭を撫でてあげる。

 サラサラと音を立てるような髪の手触りは相変わらずよい。

 嬉しいのか特徴的な耳がピクピクと反応している。


 ほの香姫が無言で僕の右腕をかき抱くと肘のあたりに柔らかなものに挟まれた。

 今のわざとやっていませんかね?

「そういうわけで、お風呂でもいかがですか。さっぱりすると思いますよ」
「……?」

 一瞬の間。それからほの香姫の頬が赤く染まった。


 抱えていた手を離し、ジリジリと後退していく。

 背後に立っていた天色の君の所まで下がってようやく止まる。

「お、お心遣い感謝いたします。それでは、ほの香はこれにて……」

 さっと踵を返すと建物へ小走りで向かう。

 天色の君は僕たちへ向けて頭を下げてから後を追いかけた。

「ふう、助かった」
「ここまで計算の上で風呂の用意をさせていたのですかな」
「まあ、そうですね」
「ははは。不吹殿は策士でもあるのですなぁ。ますます頼もしい。姫様を危険にさらしたくないというお気持ちはわかります。それは俺も同じですから」
「思っていた以上にほの香姫がお強いのもあって悩むんですよね」
「わかります。道場剣術ではありますがそれなりに動け、下手に自信を持っているのもありますしな。ああいうのは一度痛い目を見なければわからないでしょう」

「比較的安全な形で実戦を一度経験してもらえるのが理想なんですけど、なかなかそういうのはなさそうですし……悩ましいです」


「清正さまはなにかこまっとるの? ほんなら、あたしがお力になるだらぁ」
「翠寿にはいつも助けてもらってるよ。ありがとう」
「えへへー」

 実際、翠寿にはフル回転で働いてもらっている。

 僕の世話をする付き人としても、操心館で働く小者としても、情報収集をする忍びとしても。

「翠寿は疲れてない?」
「へいちゃらです!」
碧寿(へきじゅ)から連絡はまだないのかな?」
「碧おねーちゃん、ちゃんとさがしとるもんで、もうちょびっとまっとってください」
「勿論だよ。連絡があったらすぐに知らせてね」
「う――はい!」
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登場人物紹介

不吹清正(ふぶき・きよまさ)

本作の主人公で元の世界ではゲームクリエイターをしていたが、自分の作ったゲームによく似た世界へ微妙に若返りつつ転移してしまう。

好奇心旺盛な性格で行動より思考を優先するタイプ。

連れ合いの機巧姫は葵の君。

葵の君(あおいのきみ)

主人公の連れ合い(パートナー)である機巧姫。髪の色が銘と同じ葵色で胸の真ん中に同色の勾玉が埋め込まれている。

人形としては最上位の存在で、外見や行動など、ほとんど人間と変わりがない。

主人公のことを第一に考え、そのために行動をする。

淡渕澪(あわぶち・みお)

関谷国の藤川家に仕える知行三百石持ちの侍で操心館に所属する候補生の一人。水縹の君を所有しているが連れ合いとして認められてはいない。

人とは異なる八岐と呼ばれる種族の一つ、木霊に連なっており、癒しの術を得意とする。また動物や植物ともある程度の意思疎通ができる。

紅寿(こうじゅ)

澪に仕える忍びで、八岐に連なる人狼の少女。オオカミによく似たケモノ耳と尻尾を有している。

人狼の身体能力は鬼と並ぶほど高く、その中でも敏捷性は特に優れている。忍びとしても有能。

現在は言葉を話せないもよう。

翠寿(すいじゅ)

澪に仕える忍びで、紅寿の妹。人狼特有のケモノ耳と尻尾を有する。

幼いながらも誰かに仕えて職務を果たしたいという心根を持つがいろいろと未熟。

大平不動(おおひら・ふどう)

操心館に所属する候補生の一人で八岐の鬼の一族に連なる。

八岐の中でも鬼は特に身体能力に優れており、戦うことを至上の喜びとしている。不動にもその傾向があり、強くなるために自己研鑽を怠らない。

直情的で考えるより先に体が動くタイプで、自分より強いと認めた相手に敬意を払う素直さを持つ。

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