第6話3

文字数 848文字

「わーい! たーのしー!」

 翠寿は舳先で大喜びだ。揺れる船上にあってバランスを崩すこともない。

 それでも葵が気を利かせて、はしゃぐ翠寿の腰を支えてくれている。

「ははは。お嬢ちゃん、その場所が気に入ったかい」
「うん!」
「そうかいそうかい。せっかく舳先に立ってるんだ。何か障害物を見つけたらおじちゃんに教えておくれ」
「う――はい!」
「ははは。小さいお嬢ちゃんは元気がいいねえ」

 櫓を漕ぐ船頭さんの前に座っている紅寿は真剣な表情で懐に柄樽を抱え込んでいる。


「そんな緊張しないでも大丈夫だよ。疲れちゃうでしょ」
「……」

 しばし僕の顔を見つめてから、紅寿はゆっくりと左右に首を振った。


 気にするなということだろうか。

 意思疎通らしきことができたのは喜ばしい。

 この一歩は小さいが、僕にとっては偉大な一歩である。

「じゃあ、お酒を落とさないようによろしくね」
 紅寿はこくりと頷いた。
「船坂に着くのはいつぐらいになりそうですか」
「この流れに乗っていければ日暮れ前には着けるかねえ。夜遅くに戻るのは俺も勘弁だからよお」
「暗くなったら危ないですもんね」
「それはあんまり問題ないけど、最近は何かと物騒でなあ。噂では出るって話なのよ」
「出るって何がですか?」
「これよ、これ」
 言いながらおじさんは舌をベロリと出す。
「幽霊ですか」
「魔物っていう奴もいるけどねえ。そんな話を聞いたらお天道様が出ている間に家に帰りたいって思うのは当然だろお。それに家に帰ればかかあがうめえ飯を用意して待ってくれてるしな。ところで、あの人形はお客さんのかい」
「はい」
「とんでもないべっぴんさんだ。こんなきれいな人形を見るのは初めてさあ。船坂にも人形はいたけど、こんな美人は見たことがないねえ。でも気を付けたほうがいいよお。最近は人形がさらわれたり壊されたりしてるって話だ。こんな美人なら目をつけられたって不思議はないからねえ」

 恐らくは日影の仲間による工作だろう。


 いずれにせよ何者かが船坂にも潜伏していると考えて間違いない。気を付けておこう。

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登場人物紹介

不吹清正(ふぶき・きよまさ)

本作の主人公で元の世界ではゲームクリエイターをしていたが、自分の作ったゲームによく似た世界へ微妙に若返りつつ転移してしまう。

好奇心旺盛な性格で行動より思考を優先するタイプ。

連れ合いの機巧姫は葵の君。

葵の君(あおいのきみ)

主人公の連れ合い(パートナー)である機巧姫。髪の色が銘と同じ葵色で胸の真ん中に同色の勾玉が埋め込まれている。

人形としては最上位の存在で、外見や行動など、ほとんど人間と変わりがない。

主人公のことを第一に考え、そのために行動をする。

淡渕澪(あわぶち・みお)

関谷国の藤川家に仕える知行三百石持ちの侍で操心館に所属する候補生の一人。水縹の君を所有しているが連れ合いとして認められてはいない。

人とは異なる八岐と呼ばれる種族の一つ、木霊に連なっており、癒しの術を得意とする。また動物や植物ともある程度の意思疎通ができる。

紅寿(こうじゅ)

澪に仕える忍びで、八岐に連なる人狼の少女。オオカミによく似たケモノ耳と尻尾を有している。

人狼の身体能力は鬼と並ぶほど高く、その中でも敏捷性は特に優れている。忍びとしても有能。

現在は言葉を話せないもよう。

翠寿(すいじゅ)

澪に仕える忍びで、紅寿の妹。人狼特有のケモノ耳と尻尾を有する。

幼いながらも誰かに仕えて職務を果たしたいという心根を持つがいろいろと未熟。

大平不動(おおひら・ふどう)

操心館に所属する候補生の一人で八岐の鬼の一族に連なる。

八岐の中でも鬼は特に身体能力に優れており、戦うことを至上の喜びとしている。不動にもその傾向があり、強くなるために自己研鑽を怠らない。

直情的で考えるより先に体が動くタイプで、自分より強いと認めた相手に敬意を払う素直さを持つ。

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