第18話3

文字数 979文字

「やめて、翠寿!」
「ああああああああああぁぁぁ!」

 澪の声が届いていない。

 何より動きにいつもの精彩さがない。

 足がもつれそうで、今にも転びそうだ。

「葵! 翠寿を止めて!」

「はいっ」


 駆け出そうとする葵の脇を小さな影が通り過ぎていった。
「やだ、やだやだ! ダメよ、紅寿! 戻ってきて!」

 紅寿は振り返らない。


 構えた槍が狙うのは黒霧の武者の左足だ。

 槍を突き出して勢いそのままにぶつかる。

「ダメぇぇぇぇ! 紅寿ぅ!」
 ボッと空気を貫く音と共に紅寿の姿が黒い霧の向こうへ消えた。
「紅寿――っ」

「澪、行くな!」


 咄嗟に腕を掴んで澪を止める。
「主様、翠寿を止めました」
 葵は翠寿を小脇に抱え、こちらへ戻ろうとしている。
「紅寿! 紅寿! いやだ、紅寿――!」

「るおおおおおおぉぉぉぉぉおおおんん! おぉん! うぉぉぉぉ――んんん!」


 力強い遠吠えだった。
「おおぉぉおおん! うぉ! うぉぉぉんん!」

 葵に抱えられた翠寿もまた遠吠えを上げる。


「よかった。紅寿は無事だって。あの霧を突き抜けただけだって……」


 澪には〈友愛(ゆうあい)〉という能力がある。

 言葉を介さなくても動物とある程度の意思疎通が可能だ。

「葵、上だ!」
 黒霧の武者が握りしめた右手を高く掲げている。
「紅おねーちゃんの声がきこえたもんで、もうだいじょーぶです!」

 するりと葵の手から抜け出た翠寿が駆け出す。その動きは滑らかで躊躇いがない。


 身軽になった葵は地面を蹴って翠寿とは反対側に跳ぶ。


 黒い武者の拳が何もない地面に振り下ろされる。

 激突音はない。衝撃もない。


「――はっ」

 踏ん張りながら腰に差した刀を葵が一閃させる。


 ズバンと大気が鳴る。

 空間ごと影の腕を切り裂いた。


 巨木のような太い腕が吹き飛んだかと思うほどの一撃。

 けれど刃が通過した部分の黒霧が一直線に切り裂かれただけだ。

「たあああぁぁぁ!」


 今度は翠寿が槍を構えて右足へと突っ込んでいく。

 先ほどの紅寿と同じように体ごとぶつかる。

「うわわ、わわわぁぁ……」
 黒い霧の向こうへ突き抜け、姿が見えなくなる。
「こっちの攻撃が効いてない?」

 霧化した魔物なら凍結させてから攻撃したり、核となる部分を見つけてそこを狙ったりするのがセオリーだ。

 あるいは風を操って吹き飛ばすなんて大雑把な作戦もある。

「強制敗北になるイベント戦闘なんてご免だけどな」
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登場人物紹介

不吹清正(ふぶき・きよまさ)

本作の主人公で元の世界ではゲームクリエイターをしていたが、自分の作ったゲームによく似た世界へ微妙に若返りつつ転移してしまう。

好奇心旺盛な性格で行動より思考を優先するタイプ。

連れ合いの機巧姫は葵の君。

葵の君(あおいのきみ)

主人公の連れ合い(パートナー)である機巧姫。髪の色が銘と同じ葵色で胸の真ん中に同色の勾玉が埋め込まれている。

人形としては最上位の存在で、外見や行動など、ほとんど人間と変わりがない。

主人公のことを第一に考え、そのために行動をする。

淡渕澪(あわぶち・みお)

関谷国の藤川家に仕える知行三百石持ちの侍で操心館に所属する候補生の一人。水縹の君を所有しているが連れ合いとして認められてはいない。

人とは異なる八岐と呼ばれる種族の一つ、木霊に連なっており、癒しの術を得意とする。また動物や植物ともある程度の意思疎通ができる。

紅寿(こうじゅ)

澪に仕える忍びで、八岐に連なる人狼の少女。オオカミによく似たケモノ耳と尻尾を有している。

人狼の身体能力は鬼と並ぶほど高く、その中でも敏捷性は特に優れている。忍びとしても有能。

現在は言葉を話せないもよう。

翠寿(すいじゅ)

澪に仕える忍びで、紅寿の妹。人狼特有のケモノ耳と尻尾を有する。

幼いながらも誰かに仕えて職務を果たしたいという心根を持つがいろいろと未熟。

大平不動(おおひら・ふどう)

操心館に所属する候補生の一人で八岐の鬼の一族に連なる。

八岐の中でも鬼は特に身体能力に優れており、戦うことを至上の喜びとしている。不動にもその傾向があり、強くなるために自己研鑽を怠らない。

直情的で考えるより先に体が動くタイプで、自分より強いと認めた相手に敬意を払う素直さを持つ。

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