第7話1 海の香り

文字数 768文字

「……はぅぅ……まだ地面が揺れてるみたい……」

 船坂に着いた頃には澪は干物みたいになっていた。

 魂が抜けた顔をして地面に蹲っている。

「お水をもらっておいたから飲んで」
「ありがと……ふぅ。人心地ついたかも。地面が揺れてないのって幸せなことだよね」
「舟が苦手だったのなら他の移動手段にすればよかったね。ごめん、気が利かなくて」
「ううん、いいの。清正君は気にしないで。なんとなくあの舟というか船頭さんに問題があるような気がしないでも……う、ううぅ……」
「大丈夫? 背中さすろうか?」
「ふぅふぅふぅぅ。もう平気。むしろこの匂いのが気になるかも……」

 顔を上げるとそこにはオレンジ色に輝く海が広がっていた。

 夜が近い時間のせいか、海上には大きな船が一隻浮いているだけだ。

「海の様子はこっちの世界でも変わらないんだな」
「海ってこんな匂いがするんだね」
「澪は海を見るの初めて?」
「うん。清正君は見たことあるんだ」
「久しぶりになるけどね」

 小学六年生の夏に行った家族旅行が最後だろうか。

 妹と一緒に大きな砂山を作ってトンネルを掘った記憶がある。

「うぅ。この匂いに慣れるのは大変そうだなぁ」
「大丈夫だよ。そのうち鼻が慣れちゃうから」
「だってさ。二人とも少しの辛抱だよ」

 紅寿と翠寿は鼻に皺を寄せていた。

 眉も斜めになっていて可愛い顔が台無しだ。

「そんなに匂いが駄目なの?」
「……っ」
「うぅ……」
「慣れるまでは鼻をつまんでおいたら」
 それぞれの手で鼻をつまむ。
「少しはよくなった?」
 翠寿は鼻をつまんだのとは反対の手の親指と人差し指を近づけている。
「ちょっとだけよくなった?」
「れほ、にほひわかんらいれふ」
「人狼の鼻が鋭敏すぎて海の匂いに過敏反応しちゃってるんだろうね。でもまあ、慣れるまではそうしているしかないかも」
 僕の言葉に二人の表情が露骨に曇った。
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登場人物紹介

不吹清正(ふぶき・きよまさ)

本作の主人公で元の世界ではゲームクリエイターをしていたが、自分の作ったゲームによく似た世界へ微妙に若返りつつ転移してしまう。

好奇心旺盛な性格で行動より思考を優先するタイプ。

連れ合いの機巧姫は葵の君。

葵の君(あおいのきみ)

主人公の連れ合い(パートナー)である機巧姫。髪の色が銘と同じ葵色で胸の真ん中に同色の勾玉が埋め込まれている。

人形としては最上位の存在で、外見や行動など、ほとんど人間と変わりがない。

主人公のことを第一に考え、そのために行動をする。

淡渕澪(あわぶち・みお)

関谷国の藤川家に仕える知行三百石持ちの侍で操心館に所属する候補生の一人。水縹の君を所有しているが連れ合いとして認められてはいない。

人とは異なる八岐と呼ばれる種族の一つ、木霊に連なっており、癒しの術を得意とする。また動物や植物ともある程度の意思疎通ができる。

紅寿(こうじゅ)

澪に仕える忍びで、八岐に連なる人狼の少女。オオカミによく似たケモノ耳と尻尾を有している。

人狼の身体能力は鬼と並ぶほど高く、その中でも敏捷性は特に優れている。忍びとしても有能。

現在は言葉を話せないもよう。

翠寿(すいじゅ)

澪に仕える忍びで、紅寿の妹。人狼特有のケモノ耳と尻尾を有する。

幼いながらも誰かに仕えて職務を果たしたいという心根を持つがいろいろと未熟。

大平不動(おおひら・ふどう)

操心館に所属する候補生の一人で八岐の鬼の一族に連なる。

八岐の中でも鬼は特に身体能力に優れており、戦うことを至上の喜びとしている。不動にもその傾向があり、強くなるために自己研鑽を怠らない。

直情的で考えるより先に体が動くタイプで、自分より強いと認めた相手に敬意を払う素直さを持つ。

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