第27話 第一の欺瞞『如是我聞』【19】
文字数 1,154文字
【19】
【人間は人間を征服出来ない、つまり、家来にすることが出来ない】のだから、太宰は志賀に『斜陽』をどう貶されようが、自信を持って笑っていればいいのである。
【人間は人間に服従しない】のだから、老大家にいかに虐められようが、相手にせず黙って笑っていればいいのである。
それが服従しないということではないか。
そして黙々と「己が信じる小説」を書いていけば良かったのである。
太宰が敬愛した葛西善蔵の生き方は、まさにそのようなものであった筈ではないか。
しかし、太宰は己が信じる「民主主義」をそのように書きながらも、そのようには生きられなかった。
太宰は好むと好まざるとに関わらず、文壇を、評論家を、老大家を、その他自分を取り囲む諸々のものとその評価を常に意識し、結局、死ぬまでそれらのものに囚われていただけではないのか――。
つまるところ、『如是我聞』は、その十三年前、昭和十年に太宰が『文芸通信』に発表した『川端康成へ』の続きだったのかもしれない。
これは第一回芥川賞の受賞に漏れた太宰が、選考委員の川端に対して食って掛かった短い手記だけれど、これもかなり支離滅裂な内容のものである。
太宰はその中で川端に向かって、
【私はいま、あなたと知恵くらべをしようとしてゐるのではありません。私は、あなたのあの文章の中に「世間」を感じ、「金銭関係」のせつなさを嗅いだ。私はそれを二三のひたむきな読者に知らせたいだけなのです。それは知らせなければならないことです。】
と言っているが、これはつまり自分の『道化の華』が芥川賞の選に漏れたのは、作品の優劣ではなく、芥川賞の選考に「世間的」で「金銭関係」的な要因が絡んでいたためだ、と言いたいようである。
そして、
【菊池寛氏が、「まあ、それでもよかつた。無難でよかつた。」とにこにこ笑ひながらハンケチで額の汗を拭つてゐる光景を思ふと私は他愛もなく微笑む。ほんとうによかつたと思はれる。芥川龍之介を少し可愛さうにも思つたが、なに、これも「世間」だ。石川氏は立派な生活人だ。その点で彼は深く真正面に努めてゐる。】
と続けるのだが、負け惜しみもここまでくれば、主客転倒するかのような観があるから立派なものである。
太宰の本質を知る鍵は、まさにこの主客転倒なのだ。
駆け出しの二十七歳の若造がいっぱしの文学者を気取って、芥川賞の選考方針に対してあらぬ疑いをかけ、それを非難し、選考委員を矮小化してみせる。
そればかりか、受賞者の石川氏に対して、彼が受賞したのは作品よりも生活態度が良かったからだと暗に仄めかしてその受賞にケチまでつける。
そして、自分の作品が受賞しないので【芥川龍之介を少し可愛さうにも思つた】と言ってのけるのである。
八つ当たりである。
まるで駄々っ子である。
【人間は人間を征服出来ない、つまり、家来にすることが出来ない】のだから、太宰は志賀に『斜陽』をどう貶されようが、自信を持って笑っていればいいのである。
【人間は人間に服従しない】のだから、老大家にいかに虐められようが、相手にせず黙って笑っていればいいのである。
それが服従しないということではないか。
そして黙々と「己が信じる小説」を書いていけば良かったのである。
太宰が敬愛した葛西善蔵の生き方は、まさにそのようなものであった筈ではないか。
しかし、太宰は己が信じる「民主主義」をそのように書きながらも、そのようには生きられなかった。
太宰は好むと好まざるとに関わらず、文壇を、評論家を、老大家を、その他自分を取り囲む諸々のものとその評価を常に意識し、結局、死ぬまでそれらのものに囚われていただけではないのか――。
つまるところ、『如是我聞』は、その十三年前、昭和十年に太宰が『文芸通信』に発表した『川端康成へ』の続きだったのかもしれない。
これは第一回芥川賞の受賞に漏れた太宰が、選考委員の川端に対して食って掛かった短い手記だけれど、これもかなり支離滅裂な内容のものである。
太宰はその中で川端に向かって、
【私はいま、あなたと知恵くらべをしようとしてゐるのではありません。私は、あなたのあの文章の中に「世間」を感じ、「金銭関係」のせつなさを嗅いだ。私はそれを二三のひたむきな読者に知らせたいだけなのです。それは知らせなければならないことです。】
と言っているが、これはつまり自分の『道化の華』が芥川賞の選に漏れたのは、作品の優劣ではなく、芥川賞の選考に「世間的」で「金銭関係」的な要因が絡んでいたためだ、と言いたいようである。
そして、
【菊池寛氏が、「まあ、それでもよかつた。無難でよかつた。」とにこにこ笑ひながらハンケチで額の汗を拭つてゐる光景を思ふと私は他愛もなく微笑む。ほんとうによかつたと思はれる。芥川龍之介を少し可愛さうにも思つたが、なに、これも「世間」だ。石川氏は立派な生活人だ。その点で彼は深く真正面に努めてゐる。】
と続けるのだが、負け惜しみもここまでくれば、主客転倒するかのような観があるから立派なものである。
太宰の本質を知る鍵は、まさにこの主客転倒なのだ。
駆け出しの二十七歳の若造がいっぱしの文学者を気取って、芥川賞の選考方針に対してあらぬ疑いをかけ、それを非難し、選考委員を矮小化してみせる。
そればかりか、受賞者の石川氏に対して、彼が受賞したのは作品よりも生活態度が良かったからだと暗に仄めかしてその受賞にケチまでつける。
そして、自分の作品が受賞しないので【芥川龍之介を少し可愛さうにも思つた】と言ってのけるのである。
八つ当たりである。
まるで駄々っ子である。