第11話 第一の欺瞞『如是我聞』【3】

文字数 1,017文字

【3】

 例えば、志賀は文末に【英霊に(ぬか)づく】と書いているのに対し、太宰は、

【日本の綺麗な兵隊さん、どうか、彼等を滅つちやくちやに、やつつけて下さい。】

 と書くのである。
 太宰の『十二月八日』は読み込んでいくほど、私の目には「戦争賛美」としか映らないのだ。
 この太宰の手になる一節を、太宰が志賀にしたように悪意を持って読んでみれば、「兵隊さん戦地で立派に戦って死んで下さい」と曲解することもできる。
 太宰はこの作品を妻の目線から描いた。
 妻の口からこう言わせたのだが、書いているのは太宰に他ならない。
 太宰は開戦時に、このような短篇を発表していたのである。  

 この『十二月八日』は、いろいろな要素を取り入れており、どのようにも読める仕掛けがなされている。
 特にラストシーンなどは、その最たるものであろう。
 例えば、

【お前たちには、信仰が無いから、こんな夜道にも難儀するのだ。僕には、信仰があるから、夜道もなほ白昼の如しだね。ついて来い。】

 という(くだり)だが、これは「この戦時中の暗い世の中も、信仰があれば生きていける」という太宰一流の比喩のようにも読めるし、心ある読者への太宰からのメッセージであるようにも取れる。

 太宰はこの作品の中で、開戦に沸き立つ当時の世論を、

【日本の綺麗な兵隊さん、どうか、彼等を滅つちやくちやに、やつつけて下さい。】

 という言葉でシンボライズし、それに対峙する者として自分を置き、

【僕には、信仰があるから、夜道もなほ白昼の如しだね。ついて来い。】

 と言うのだが、私には、太宰のこの姿勢に或る種の軽薄さが感じられてならない。

 当時の太宰がどれだけの「覚悟」を持って、読者に向って【ついて来い。】と言うことができたのだろうか。

 太宰の信仰や覚悟が本物ならば、そして、『如是我聞』においてキリストの教理を引き合いに出して志賀を批判したその信仰が本物ならば、「兵隊さん、それぞれの信仰を持って戦地にあっても頑張って下さい。そして殺さず生きて帰って下さい。」と書くべきであろう。

 しかし、当然当時はそのようなことが書けるはずもない。
 そう書けないなら初めから「信仰」という言葉を気安く持ち出すべきではないだろうし、太宰の「信仰」が本物ならば、こんな玉虫色の作品を書くべきではなかったと私は思っている。

 太宰はなんのために、どんな意図で、この『十二月八日』という作品を、それも『婦人公論』という大衆雑誌に発表したのだろうか。
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