第40話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【4】

文字数 832文字

【4】

【こんなに自分のことばかり書いて…… この人は自分で自分を(ついば)んでいるようだ…… そんなことを感じた。】(津島美知子『回想の太宰治』)

【太宰のような常識圏外に住む人と私はそれまで接触したことがなかった。】(同)

【気の弱い人の常で、人に先手をとられることをきらう。それでいつも人に先廻りばかりし取り越し苦労するという損な性分である。】(同)

【仕事だけの人なのだから仕方ないとはいうものの、じつに頼りない。大体、気の弱い人の常として、第三者に気兼ねして家人をないがしろにする傾向がある。】(同)

【私にとっての事実と太宰の書いた内容とのくい違い、これはどういうことなのだろう。(うそ)かまことかという人だ…… と私は思った。】(同)

【太宰はほんとは「若様」のように、つききりで、みなりのこと、往復の乗り物のこと、一切世話してくれるお伴がほしいのだが、子供でも、老大家でもないから、ひとりで外出しなければならないのが不満らしかった。】(同)

【高射砲の音にさえ胸の高鳴っていた小心の太宰などはほとんど失神状態だったろうと思う。】(同)
 
 これら全て、妻美知子の手記『回想の太宰治』に描かれた太宰評である。
 私は、『回想の太宰治』について、実際にそれを読むまでは、その手記はかなり太宰を美化した、未亡人特有の主観的なものだろうと想像していた。
 しかし、実際には、特に太宰の人となりについては冷徹な観察眼をもって客観的に書かれたものだった。

 そこに書かれた生活人としての太宰を見れば、
「この男、小説を書いていなければ、四十面下げた駄々っ子のお子ちゃまであり、性格破綻者である前に、生活無能者ではないか」
 とあらためて再確認させられるのである。

 そして、先に引用した美知子の太宰評だけを読んでも、「太宰はなぜ『如是我聞』を書いたのか?」という問いに対する答えが、浮かび上がってくるような気がする。
 それについて、以下しばらく、津島美知子の『回想の太宰治』から引用して考察してみたい。
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