第83話 第三の欺瞞『虚飾の傑作』【20】

文字数 1,229文字

【20】

【結局、自殺するよりほか仕様がないのぢやないか。
このやうに苦しんでも、ただ自殺で終わるだけなのだ、と思つたら、声を放つて泣いてしまつた。】

 『斜陽』の中にある、直治の「夕顔日誌」の数行は、虚飾のない太宰の真情のようにも思える。

 私には、『斜陽』において読み解けない箇所がある。
 それは「直治の遺書」に書かれている、直治が恋した人妻とその夫である洋画家の存在だ。
 その人妻について、直治はかず子に

【遠まはしに、ぼんやり、フィクションみたいにして教へて置きます。フィクション、といつても、しかし、姉さんは、きつとすぐその相手のひとは誰だか、お気付きになる筈です。】

【そのひとは、戦後あたらしいタッチの画をつぎつぎと発表して急に有名になった或る中年の洋画家の奥さんで、その洋画家の行いは、たいへん乱暴ですさんだものなのに、その奥さんは平気を装って、いつも優しく微笑ほほえんで暮しているのです。】

 と言っているのだから、その洋画家とは作家の上原を暗示していて、洋画家の妻であるスガちゃん、つまり上原の妻が直治の片思いの相手であり、そのことが、『斜陽』のラストにおける、

【私の生まれた子を、たつた一度でよろしうございますから、あなたの奥さまに抱かせていただきたいのです。さうして、その時、私にかう言わせていただきます。「これは、直治が、或る女のひとに内緒で生ませた子ですの。」】

 というかず子の台詞につながるのであろう。

 しかし直治は、そのスガちゃんの夫である洋画家を次のように言っているのだ。
 その洋画家が、太宰のもう一方の分身である上原を暗示しているとすれば、次の文章の意味合いは奇妙だ。

 【その洋画家は、僕はいまこそ、感じたままをはつきり言ひますが、ただ大酒飲みで遊び好きの、巧妙な商人なのです。遊ぶ金がほしさに、ただ出鱈目にカンヴアスに絵具をぬたくつて、流行の勢ひに乗り、もつたい振つて高く売つてゐるのです。あのひとの持つているのは、田舎者の図々しさ、馬鹿な自信、ずるい商才、それだけなんです。
おそらくあのひとは、他の人の絵は、外国人の絵でも日本人の絵でも、なんにもわかつてゐないでせう。おまけに、自分で書いてゐる絵も、何の事やらご自身わかつてゐないでせう。ただ遊興のための金が欲しさに、無我夢中で絵具をカンヴアスにぬたくつてゐるだけなんです。
さうして、さらに驚くべき事は、あのひとはご自身のそんな出鱈目に、何の疑ひも、羞恥も、恐怖も、お持ちになつてゐないらしいといふ事です。
ただもう、お得意なんです。何せ、自分で書いた絵が自分でわからぬというふひとなのですから、他人の仕事のよさなどわかる筈が無く、いやもう、けなす事、けなす事。
つまり、あのひとのデカダン生活は、口では何のかのと苦しさうな事を言つてゐますけれども、その実は、馬鹿な田舎者が、かねてあこがれの都に出て、かれ自身にも意外なくらゐの成功をしたので有頂天になつて遊びまはつてるだけなんです。】
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