第25話 第一の欺瞞『如是我聞』【17】

文字数 933文字

【17】

 ここまでの事柄から導き出される推論はあまりに平凡過ぎるものなのだが、逆に否定しがたいものであるように思う。
 それは、太宰の志賀に対する「強烈な羨望と嫉妬」である――。

 太宰が自作について、

【せつかく苦労して、悪い材料は捨て、本当においしいところだけ選んで差し上げてゐるのに】

 というつもりで必死に書いているのに、自分の作品はなかなかメジャーにならない、それに比べて志賀は、まるで読者を無視するように自分の好きなように書きながらメジャーになった。
 志賀はマイナーでも構わないつもりで書いて、いきなりメジャーになった。
 太宰はメジャーになるつもりで書いて、長い間マイナーな作家だった。

 志賀の迷いのない自信とそれを無条件に受け入れる読者の存在、太宰にはその現実が理解できなかったろうし、到底受け入れることのできないものだったであろう。

 太宰は『津軽』の中で表面では志賀の批判を展開しているが、それと同時に「志賀を無条件に受け入れ崇拝する読者」、翻って「自分の作品を評価しない読者」をも強烈に批判しているのだ。

 太宰は自作について、【せつかく苦労して】と努力の過程を訴えているのだが、志賀の作品は、志賀が【せつかく苦労】しなくても、【悪い材料を捨て、本当においしいところだけ選んで差し上げる】というものになっており、しかも志賀は、そのような自作の性質を自覚していたような節がある。

 志賀は、自分の随筆『青臭帖』の中にこう書いている。

【私が一生懸命に団子を作つている所へ来て、「シチューを呉れ、シチューを」他人はこんな事をいふ。「お生憎様」】

 『津軽』の志賀批判は、

【君たちは、僕の仕事をさつぱりみとめてくれないから、僕だつて、あらぬ事を口走りたくなつて来るんだ。みとめてくれよ。二十分の一でもいいんだ。みとめろよ。】

 という太宰の言葉で終わるのだが、故郷の先輩作家である葛西善蔵を尊敬していたらしい太宰にしては、実に情けない言葉ではないか。

 このように、故郷の人々に認めて欲しい太宰は、本当に善蔵を思っていたのだろうか。
 善蔵ならば、そんな太宰に「君が僕を真似てみても、君と僕は違うのではないですかな」、「太宰君は甘いですな」などと言いそうな気がするのだが――。
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