第86話 終章 『最期の逆説』【1】

文字数 1,443文字

【1】
                                                    
 太宰が、死の前年に発表した『父』(昭和二十二年)は、晩年の太宰の心境を割合素直に書き記したものだと思われるが、そこには、太宰が死に至った心境はさもありなんというべきことが書かれている。
 そして、それこそまさに太宰の「脆さ」の典型でなのであろうと思われてならない。

【私さへゐなかつたら、すくなくとも私の周囲の者たちが、平安に、落ちつくやうになるのではあるまいか。】 

【死にやいいんだ。つまらんもの書いて、佳作だの何だのと、軽薄におだてられたいばかりに、身内の者の寿命をちぢめるとは、憎みても余りある極悪人ではないか。死ね!】

【親が無くても子は育つ、といふ。私の場合、親が有るから子は育たぬのだ。】

 このように、太宰は己の心境は素直に語ったけれど、己が家庭を犠牲にしてまでも執着している「義」については明言しなった。
 そして、その「義」について太宰はこのように書いてみせた。

【私の胸の奥の白絹に、何やらこまかい文字が一ぱいに書かれてゐる。その文字は、何であるか、私にもはつきり読めない。たとへば、十匹の蟻が、墨汁の海から這い上つて、さうして白絹の上をかさかさと小さい音を立てて歩き回り、何やらこまかく、ほそく、墨の足跡をゑがき印し散らしたみたいな、そんな工合の、幽かな、くすぐつたい文字。】

 太宰は『如是我聞』の中で、『ひとは、自分の真の神をよく隠す。』と書いたが、当の太宰だって自分の真の神をはっきりとは書かずに隠しているのだ――。

 おそらく、『如是我聞』こそ、その太宰の「義」の一部を表したものなのだろうと私は考えているのだが、そこでも、太宰は「自分の真の神」を見せることはなかった。
 しかし、「太宰の真の神」についてのヒントが全くないわけではない。

 『十五年間』(昭和二十一年)の最後に、太宰は次のようなことを書いている。それは、

【まつたく新しい思潮の台頭を待望する。それを言ひ出すには、何よりもまず、「勇気」を要する。私の今夢想する境涯は、フランスのモラリストたちの感覚を基調とし、その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足のアナキズム風の桃源である。】

 という一文だが、私はこの一文を極めて重要なものだと捉えている。
 私は、この中に太宰が隠し続けていた「真の神」が隠されているのではないかと考えているのだ――。

 太宰が、『十五年間』にこう書いた二十八年も前に、白樺派の重鎮であり、志賀直哉の盟友であった武者小路実篤は、「新しき村」という生活共同体の村を実際に造っており、太宰の表現を借りれば、「自給自足のアナキズム風の桃源郷」を実践しようとしていた。
 私は、志賀と白樺派を調べているうちに、武者小路の「新しき村」の存在を知った。

 この「新しき村」は、大正七年宮崎県に建設され、昭和十四年埼玉県に移転し現在に至っており、武者小路が先鞭をつけたこの事業が、彼の理念と共に現在に到るまで九十年以上に渡って営々と継承されていることを知って正直驚いた。(2021年現在では100年以上)

 そして、「新しき村」と白樺派のルーツを調べていくと、一人の外国の作家にたどり着いた。
 その作家は、白樺派のメンバーに多大な影響を与えた人物であり、武者小路は、その人物の理念を実践するために「新しき村」に着手したことが分かった。

 その人物とは、ロシアの大文豪であるトルストイだった――。
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