第61話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【25】

文字数 1,270文字

【25】
 
 葛西の手になる『小感』(大正十五年~昭和二年)は、『如是我聞』と非常に似通った状況下で書かれた評論である。
 この『小感』は大正十五年から昭和二年の一年間(大正十五年は昭和元年なので)に渡って連載された、口述筆記の手記である。葛西は昭和三年、四十一歳で亡くなっているから、死の前年まで発表された手記ということになる。
 太宰の『如是我聞』も、彼の死の直前まで発表された口述筆記の手記である。
 そして――、葛西の『小感』は田山花袋への反論、太宰の『如是我聞』は志賀直哉への反論から始まっている。

 『小感』と『如是我聞』には、執筆の背景とモチーフの符号点は多い。
 おそらく太宰の『如是我聞』は、この『小感』を意識したものであろう。
 『小感』の初回の冒頭を引用する。かなり長い引用になるのは、この手記こそ葛西の文学観と人生観を如実に表わしていると思うからだ。

【『新潮』の二月号の合評会で、田山さんや近松さんが、僕の『中央公論』に出した「われと遊ぶ子」のことを言って、酔漢のクダだと評していられた。僕は、口惜しいよりも、悲しく思った。(中略)
が、あの「われと遊ぶ子」は、所謂酔漢のクダではないのだ。そんな風に言われて、僕は驚いたのだ。自分の作のことをとやこう言われて、自分がまた何か言うなんてことは、僕の気持ちとしては、たいへんに好まないことなのだけれども、先輩として尊敬しているああいう方から、あんな風な言い方をされるということは、われながらなさけないことだと思う。
一体、小説なんていうものは、随分修養が達しても、人格の修養とか…… そういったことには、案外、役立たないものではないかとこの頃特にそんな気がされる。自分などにしても、やはり一生懸命になって勉強していても、五十六十になると、ただただ心境小説とか本格小説とか言って、自分の積んできた仕事の上の誇から後進の作に対して、そういった苛辣な批評を加えることになるのだろうと思うと、自分を警戒したい気になる。そして、また小説というものに一生を打ち込んで行っても、人格的に救われない感じのものだという気さえするのである。
妥協しない、自分が認めないものを強く排斥する…… そういう気持ちは、僕にも分らないではないが、文壇一般的に考えて見ても、言論の上だけで妥協しないと言っても、根本の生活そのものが妥協の上に成り立って居るのでは、仕方がないではないか。出発点が、また行程が、普通の所謂生活条件と妥協と言っては悪いが、よく適応出来るように出来て居る人が、言論の上だけであまり激しいことを言うのは、言われるほうから見れば、二重の痛さである。地位にも金にも困らない田山さんが芸術家の妥協性を斥け、たまたま僕ごときいろんな意味での弱者に対してあんな風の残酷な言い方をされると、随分人生を失望しちまう。】

 ヒステリックでアンビバレンスな『如是我聞』に対して、葛西の『小感』は静かな筆致で、自作を批判する田山花袋に向けて、冷静にしかし力強く自作の立脚点を語っており、それはある意味で自信に満ちている。
 
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