第34話 第一の欺瞞『如是我聞』【26】

文字数 969文字

【26】

 太宰はなぜ無際限に他人に凭れかかるのだろう――。
 なぜ無際限に甘ったれることができるのだろう――。
 『如是我聞』の中には、そのような太宰の精神構造を表す言葉が随所に見られる。

【あの人たちは、大戦中でも、私たちの、何の頼りにもならなかつた。私は、あの時、あの人たちの正体を見た、と思つた。
 あやまればいいのに、すみませんとあやまればいいのに。もとの姿のままで死ぬまで同じところに居据らうとしてゐる。】

 太宰の言う【私たち】とはいったい誰なのだろう。
 太宰はいったい誰の代弁者となっているつもりなのだろう。
 太宰は【あの人たちは、大戦中でも、私たちの、何の頼りにもならなかつた。】と【あの人たち】を責めているが、私は太宰のその言葉に対して、
「太宰さん、あなたはそのときいったい何をしたのだ?」
「あの人たちが頼りにならないと判ったのなら、あなたが頼りになれば良かったではないか」
「戦時中あなたは、次々と戦地に向かうあなたの後輩達に何をしてやれたのか?」
「あなたはあなたより若い世代に、すみませんとあやまったのか」
 と問いたくなる。

 太宰より下の年代から言わせれば、志賀も太宰も【あの人たちは、大戦中でも、私たちの、何の頼りにもならなかつた。】存在なのだ。

 太宰が、自身の立ち位置を一人勝手に決め、安全な場所からそれを喧伝しているに過ぎない。
 「みんながそう言っている」「私たちの総意です」、これみな扇動者の常套句である。
 扇動者は常に弱者の側に立つ。
 扇動者は弱者になりすまし相手を攻撃する。
 それは「弱者の脅迫」とでも言い換えられるだろう。

【変わらなければならないのだ。私は、新しがりやではないけれども、けれども、この雛壇のままでは、私たちには、自殺以外にないやうに実感として言へるやうに思ふ。】

 太宰はここでも『私たち』と言っている。                               
 この『私たち』とはいったい誰なのだ?

 この『如是我聞』の一文は、その前年太宰が発表した織田作之助への追悼文『織田君の死』(昭和二十二年)に呼応したものだろうが、太宰はその追悼文の最後にこう書き記している。

【織田君を殺したのは、お前ぢやないか。
 君のこのたびの急逝は、彼の哀しい最後の抗議の詩であつた。
 織田君! 君は、よくやつた】
 
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