第80話 第三の欺瞞『虚飾の傑作』【17】

文字数 1,388文字

【17】

 『斜陽』の項の最後に、志賀直哉・佐々木基一・中村真一郎による座談会、「作家の態度」を引用する。

【志賀 
 若い人のを最近になって少し読んでるんだけど、中村君のはなかったから読んでない。梅崎春成という人のを三つ読んだかな。それから太宰君の「斜陽」なんていうのも読んだけど、閉口したな。

佐々木 
 はあ、さうですか。

志賀 
 閉口したつていふのは、貴族の娘が山出しの女中のやうな言葉を使うんだ。田舎から来た女中が自分に御の字をつけるやうな言葉を使うが、ところどころにそれがある。それから貴婦人が庭で小便するのなんぞも嫌だつた。作者がそのことに興味を持つ事が厭なのかもしれない。

佐々木 
 あれは最後になつてガタ落ちになりましたね。

志賀 
 あの作者のポーズが気になるな。ちよつととぼけたやうな。あの人より若い人には、それほど気にならないかも知れないけど、こつちは年上だからね、もう少し真面目にやつたらよからうといふ気がするね。あのポーズは何か弱さといふか、弱気から来る照れ隠しのポーズだからね。

(中略)

佐々木 
 「斜陽」なんていうのは、決して貴族の婦人を書いたからああいうふうになつたというのじゃなしに、何か自分の抱いたイメージを貴族の婦人に託して書いたというものですね。

志賀 
 それがうまくゆけばいいけどね、山出しの女中の敬語みたいなものが随所に出てくるから、たまらないよ。

佐々木 
 今の二十代の青年なんか、戦争中から太宰の影響下に育つた人というのがずいぶんと多いようですが…。

志賀 
 どうも評判のいい人の悪口をいふ事になつて困るんだけど、僕にはどうもいい点が見つからないね。】
(志賀直哉・佐々木基一・中村真一郎「作家の態度」岩波書店『志賀直哉全集第十四巻』)

 私がここで着目したいのは、当時の若手評論家である佐々木基一の、
【あれは最後になつてガタ落ちになりましたね。】
 という指摘である。
 佐々木の指摘通り、『斜陽』という小説は中盤から変調し、太宰の創作部分から崩れ始め、最後はガタ落ちになっている。

 『斜陽』が美しく詩的な小説であると評価を受けているのは、主に前半部分によるものであり、それはほとんど太田静子の日記の引き写しである。
 プロの作家や批評家からダメを食らわされた部分のほとんどが太宰の創作部分であることに、太宰は相当なショックを受けたのではあるまいか。

 しかしそういった悪評は、『斜陽』を継ぎ接ぎのチグハグな作品に仕上げてしまい、最大の功労者である太田静子を、「自惚れすぎるよ。斜陽の和子が自分だと思ってるんだなあ。」と切り捨た太宰が、甘んじて受けなければならない、最大の出世作『斜陽』の評価のひとつなのであろう。

 ドナルド・キーンが、

【これは、一人の非常に優れた日本の近代作家に依る、力強く美しい小説であり、そのまま世界文学の上に地位を保つ作品なのである。】

 とまで評した『斜陽』を、素人の自分ごときが、まさに太宰のいうところの【作家の私生活、底の底まで剥ごうとする】ような行為を行うなど、身の程知らずの愚挙であり、あの世の太宰から『失敬である』と叱責されるばかりか、太宰信奉者の方々からも轟々の非難を受けるのだろうが、それでも私は、『斜陽』が、「他人の日記を下敷きにしながら、都合のいいように改悪した、継ぎ接ぎのチグハグな作品」だという点を訴えたいのだ――。
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