第3話 序章【もう一つの遺書】【1】

文字数 755文字

【1】

 拙い一文を書くために、太宰の『駆け込み訴へ』を何年か振りに読んでみた。
 この歳になると、若い頃には気付かなかったようなことが気になってきて、つい裏読みしてしまう。

 『駆け込み訴へ』には、途切れること無く延々と続くユダの独白の中に、太宰の手になるイエス像がこれでもかこれでもかと一気呵成に描かれている。
 そしてそのイエス像は、一面太宰の姿に重なるようにも思える。

 誤解を恐れずに言えば、この作品に描かれているユダもイエスも、その両者が実は太宰の分身なのではないかとさえ思えるのだ。
 太宰は自身の中に棲む多面な性格を、裏切る者と裏切られる者の二人の人物に仮託して描いていたのではないのか。

 そして、読み進むうちに私はあることに気づき、次第にそれは確信に変っていった――。

 その確信とは、昭和十四年に書かれたこの作品が(発表は十五年)、図らずも九年後に起きる太宰と山崎富栄の心中事件の謎解きになっているのではないかということだった。
 もっとはっきり言えば、それは太宰の手になる、富栄の「もう一つの遺書」になっていたのではないかということなのだ。

 「イスカリオテのユダはイエスを売った」「山崎富栄が太宰を自殺に引き込んだ」とは、巷説(こうせつ)に伝わるところだが、しかし、果たして本当にそうなのだろうか……。

 今改めて『駆け込み訴へ』を読み返してみると、そこに描かれたイエスとユダの関係は、最晩年の太宰と山崎富栄の関係そのものであるように思われた。

 ユダの、イエスに対する愛と憎しみが綯い交ぜになったどうしようもない感情。
 愛しながら相手から理解されず相手を理解できない孤独、募る独占欲、消すことのできない嫉妬等々。
 心の揺れを行きつ戻りつするユダの独白は、そのまま太宰に対する富栄の心境と重なるように思えてならないのだ。
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