第43話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【7】

文字数 950文字

【7】

 スペインの田舎の郷士ドン・キホーテは、騎士道物語を読みすぎて正気を失い、現実主義者の百姓のサンチョを従えて冒険の旅に出る。
 これを、太宰に置き換えれば、

「津軽の富豪の息子津島修治は、小説を読みすぎ文学にかぶれて芥川にあこがれ、ある意味正気を失って、故郷とのへその緒である現実主義者の妻小山初代を従えて東京へ小説家修業の旅に出る。」

 となるだろうが、こう考えれば、太宰が文学のために東京で繰り広げた事件の数々は、ドン・キホーテの冒険の数々と同質のようにも思える。
 ドン・キホーテは最後に正気に返って騎士道物語の夢から目を覚ますけれど、太宰は目を覚まさないまま死んでしまった。
 いや、目を覚ましたからこそ、もう後戻りできないところまで来てしまったことに気付いて、気の弱い太宰は恐ろしくなって死んでしまったのかもしれない。
 そして、太宰はあの世へ行くのにさえ山崎富栄という、もう一人の「現実主義者のサンチョ」をお供にしなければ旅立てなかった。

 永遠に大人にならないピーターパンも太宰の分身といえるだろう。
 ピーターパンのかたわらには常に、彼を導いたり警告を発したりピンチの時には助けてくれる可愛い妖精ティンカー・ベルの存在がある。
 太宰のかたわらにも、そんなティンカー・ベルのような女性が常に寄り添っていたし、生活無能力者の太宰が現実社会を生きていく上で、そんな女性達の存在は不可欠だった。
 ピーターパンは、主人公の女の子ウェンディをネバーランドに連れて行ってくれるのだが、太宰は読者を、自分の作品という永遠のネバーランドに連れて行ってくれるのだ。
 
 その魔法の鍵は、永遠に大人になりたくない太宰の「幼児性」であり、それに起因した巧まざる「無垢」であり「純粋性」であるのだろう。
 では、太宰のその「幼児性」はどこから来ているだろうか。それについて、美知子がその一端を書き記している。

【太宰の場合、郷里では旅先にそれぞれの定宿があり、生家の顔で特別待遇を受けてきた。生家の人みな顔の利かないところへは足をふみ入れない主義のようである。そして旅立ちするとなると、日程、切符の入手、手荷物の手配、服装に至るまで、いっさい整えられて身体だけ動かせばよいのだ。過保護に育ち、人任せの習慣がついていた。】(同)
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