第68話 第三の欺瞞『虚飾の傑作』【5】

文字数 1,457文字

【5】

 太宰は、『斜陽』において戦中を描かなかった。
 唯一あるのは、主人公しず子が勤労奉仕に駆り出され、そこでの若い士官との交流を回想するシーンだけである。
 太宰は『斜陽』を戦争とは切り離したものにした。
 私は、この章の冒頭で【私にとって『斜陽』は薄っぺらくて嘘くさいのである】と書いたが、その理由はそこにあるようだ。

 戦後社会と『斜陽』が不可分であることは自明の理だが、それはすなわち戦時中とも不可分であるということだ。
 元となる『斜陽日記』には、戦時中の出来事や静子の思想がたくさん描かれているにもかかわらず、太宰はそれをほとんど無視しているため、後半に描かれる「革命」がまるで革命的になっていないのである。

 「蛇の卵を焼くシーン」、「勤労奉仕と若い士官の交流」「山荘のぼや騒ぎ」については、ほぼ完全に『斜陽日記』の引き写しである。
 そのパートは『斜陽』のなかでも、生き生きと場面が目に浮かぶような際立った描写で描かれている部分だが、そのパートの文章力、表現力、観察眼はすべて太田静子のものである。

 逆に、太宰の手になる創作パートは、先ほど挙げた、冒頭の「お母さまがスープを貴族的に飲むシーン」や、「家の奥庭で立ったままおしっこをなさるシーン」、「直治の手紙」「かず子の手紙」などであり、「母親が自分に対して尊敬語を使っている」「かず子が突如として男言葉を使う」『お母さま!お顔色がお悪いわ』の「おの重ね使い」などの言葉遣いのおかしい箇所(二章にて後述する)は、そうした部分に集中している。
 太田静子自身はきわめてノーマルかつノーブルな言葉遣いで日記を書いているのだ。

 第六章以降は、そのほとんどが太宰の創作部分である。
 そのことを意識して、再度『斜陽』を読んでみれば、そこでは『斜陽日記』における太田静子の思想はほとんどスポイルされ、『斜陽』のための雰囲気作り、謂わば舞台の書割(かきわり)にしか使われなかったことが明確になる。
 そして、その合間にはめ込まれた太宰の創作部分は、太宰の「生煮えのメッセージ」である。
 太宰は、太田静子の知性や、それに根ざした着眼点にも蓋をしている。

 次にあげる数個のセンテンスは、『斜陽』のテーマに十分に生かせるような重要なキーワードを含んだものとして、私には認識されるのだが、太宰は一切採用していない。してみると太宰は、『斜陽』の主人公かず子には、あまり多くの知性を持たせたくなかったように思える。
 太田静子の『斜陽日記』から興味深い文章を三つほど引用にしたい。

まず一つ目。
【私は、ふと、早く、けものになって生きてみたいと思った。はだしになって、草の香をかぎながら、けものになって、生きる。静子は、けものになっても生きられと思った。】

次に二つ目。
【大丈夫。私のことは大丈夫。お母様! 美しいものや、優しいものは、きっと残ります。戦争に敗けて、国がなくなっても、美しいものが滅びることはないと思います。たとえ滅びても、物語が残ります。】

 私はこの、太田静子という女性を如実に物語るこの二つの文章に心惹かれる。
 太宰が、『斜陽』の終盤に、これらの文章をそのまま掲出したら、かず子に『古い道徳とどこまでも争い』なんて観念的な科白を言わせる必要もなかっただろうし、そんな科白が吹っ飛んでしまうくらいのインパクトがあっただろう。
 【たとえ滅びても、物語が残ります。】という静子の言葉にはそれだけの力が感じられる。
 結局、太宰の『斜陽』はある意味、静子の『斜陽日記』を超えられなかったのではないか。
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