第66話 第三の欺瞞『虚飾の傑作』【3】

文字数 1,133文字

【3】

 『斜陽』という作品の背景を考えるとき、当然、太宰の『斜陽』が主であり、太田静子の日記である所謂『斜陽日記』は従としてみられている。

 『斜陽』には、『斜陽日記』がそのまま引用されている部分が多いことはよく知られているが、しかし、『斜陽』と『斜陽日記』を丹念に読み比べてみれば、太宰が、いかに『斜陽日記』の核心をスポイルしてしまったか、また太田静子の感性を消し去ってしまったかが良く判る。

 『斜陽日記』は戦中が背景になっているものだが、『斜陽』では、それが戦後に設定された。
 そのため、『斜陽』では、太田静子の戦中の体験や思想等はほとんど削除されているが、実はその削除された箇所が、『斜陽日記』の核心であり、太田静子という女性の感性をよく表わしている部分だと私は感じている。
 その一つを『斜陽日記』から引用する。

【山の勤労奉仕に行く道で、一緒に歩いていた男の人から、
「アメリカ軍が上陸してきたら、どうするだ。アメリカ人のものになるのけ。わしらと一緒に死んでくれるか。」
と言われた。(中略)
私は、ただだまって歩いていた。歩きながら、哀しいおろかなことを考えていた……。 若しアメリカ軍が上陸してきて、家にドヤドヤやって来たら、笑って迎えて、言うなりになろう。無抵抗主義。私には自殺する勇気はない。彼等が来てお食事を始めたら、お給仕をしよう。おいしいブドウ酒やチョコレートや缶詰が浮かんで来る。こんなことを考える私が哀しかった。でも、その哀しみの吐け口が何処にもないのが一層哀しかった。私は、お母様を護りとおせるだろうか、若しも、お母さまの前で、アメリカ人に身を任したら、お母さまは、それこそ、あの懐刀で刺し殺しておしまいになるに違いない。そしてご自分も……。いよいよ最後になったら、お母様と一緒に死ねばいい。落ち着いて死にたい。最後まで落着いていたい。お母さまと二人だったら落着いて死ねると思った。】(太田静子『斜陽日記』)

 理屈ではなく、私はこの一節に素直に心を打たれる。
 戦時を生きた人間の弱さ、そして覚悟と強さ。
 そしてこの一節だけで、この母と娘の人となりが、そして二人の密接な関係が浮き彫りにされているではないか。

 特に、【若しも、お母さまの前で、アメリカ人に身を任したら、お母さまは、それこそ、あの懐刀で刺し殺しておしまいになるに違いない。 そしてご自分も……。】という一節には、日本古来の女性である「お母さま」の、凛とした貴族性が如実に表わされている。 
 それを知れば、『斜陽』の中の太宰の創作である、冒頭の「お母さまがスープを貴族的に飲むシーン」や、「家の奥庭で立ったままおしっこをなさるシーン」などは、卑俗な蛇足のように感じられてしまうではないか。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み