第2話【はじめに】

文字数 975文字

【はじめに】

 太宰の評論は数多く出版されている。
太宰研究の権威や有名作家の手になるものも多い。
 最近では、太宰を賛美するものだけではなく、太宰の実像に迫る評伝も発表されているが、太宰の作品や言論における明らかな欺瞞(ぎまん)を指摘するものはまだ数少ないと思う。

 私はこの拙稿において、太宰の作品や言論に潜んでいる、彼の作家としての「(ずる)さ」を明らかにしたいと目論(もくろ)んでいる。
 特別な資料に頼らなくても、太宰の作品を丹念に読み込んでいけば、太宰の誤魔化しと言い訳がそこここに見え隠れしている。
 そして、太宰の代表作とみなされている作品の中には過大評価され、そうした欺瞞が見過ごされているものがあるのではないかと私は考えている。

 私のような市井(しせい)の無名の者が太宰の作品を論じたり、あまつさえ、欺瞞を糾弾するなど暴挙に近いことではあるが、これは太宰を弾劾する手記である。
 私は無理をしてでも押し付けるように書いて、太宰を吊るし上げ弾劾しなければならない。
 大勢の何者かが黄泉の淵から、私の背中を押しているように感じられてならないからだ。
                
 私は長らく志賀直哉を読まなかった。
 それは、若い頃読んだ『如是我聞』の影響である。
 太宰のその破壊的ともいえる遺作は、文学かぶれの一読者を二十年近くも洗脳し呪縛していたのだった。

 まったく思春期というものは恐ろしいもので、その時期に覚えたことはその後も絶対に忘れないもののようだし、感化されたことは後年抜きがたい影響力を持つようだ。
 だから私は志賀直哉を読まなかった。
 「太宰教」の忠実な信者だった私は、律儀にも師の「最後の教え」に忠実に従っていたのだ。

 しかし歳を経てその洗脳も次第に薄らいでいくし、自然、師と関わりのあった作家に興味が湧いてくる。
 そんな中で出会った志賀の作品は、そんな私のひどい偏見や洗脳を見事に綺麗さっぱり洗い流してしまった。
 そして次第に、師と崇めた太宰を客観的に見ることができるようになって、私は一気に太宰の呪縛から解き放たれた。
 とは言え、三十九歳から永遠に歳をとらない太宰より、もうかなり年長になってしまった私だけれど、心の中にはまだどこかに彼が棲みついている――。

(本文に掲載する太宰の作品は、すべて「筑摩書房 太宰治全集(昭和四十九年初版第六刷)」より引用)
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