第29話 第一の欺瞞『如是我聞』【21】

文字数 1,689文字

【21】

【昭和二十三年三月、直哉は、雑誌『文芸』の企画による佐々木基一、中村真一郎との鼎談会の席上、太宰治の評判作『斜陽』に触れ、あれには閉口した、貴族の娘が山出しの女中のような言葉を使っている、田舎から来た女中で自分の方に御の字をつけたりするのがいるが、随所にそれがあって読み続けられなかった。という話をした】(阿川弘之『志賀直哉』)

 と手厳しい評価を下す。

 太宰はそれに対して、

【貴族の娘が山出しのやうな言葉を使ふ、とあつたけれども、おまへの「うさぎ」には「お父様はうさぎなどお殺せなさいますの?」とかいふ言葉があつた筈で、まことに奇異なる思ひをしたことがある。「お殺せ」いい言葉だねえ。恥づかしくないか。おまへはいつたい、貴族だと思つてゐるのか。ブルジョアでさへないぢやないか。】

 と反撃するのだが、太宰は、批判相手の文章を正しく引用せず批判を展開している。
 阿川弘之の『志賀直哉』ではそのことを、次のように指摘している。

【「お殺せ」云々は、小品「兎」の中の、末娘貴美子の言葉、「飼つて了へばお父様屹度お殺せになれない」の不正確な引用である。直哉は「如是我聞」を見なかったが、読んでいやな顔をして説明する末娘に、「お殺せになれないで少しも変じゃない」と慰めを言った。その時、太宰治はすでに自殺していた。】(同)

 この一文は、二つの示唆を含んでいる。
 第一に、太宰はまたここでも志賀の発言を不正確に取り上げて論っている。
 前述したように、志賀は『斜陽』に対して、

【田舎から来た女中で自分の方に御の字をつけたりするのがいるが、随所にそれがあって読み続けられなかった。】

 と発言しているのであり、志賀がまず指摘したのは「自分に対して御の字を付けるのがおかしい」ということである。
 太宰が『如是我聞』で書いたように、ただ単に【貴族の娘が山出しのやうな言葉を使ふ】と言ったのではない。
 実際『斜陽』には、志賀の指摘している点が散見される――。

 主人公かず子が、六年前にただ一度きり会っただけの作家上原に対して初めて出す手紙の中に【お母さまがこなひだからまた少しお加減がわるく】という一節があるのだが、私はこれに少なからず違和感を覚える。
 これは恋人同士や夫婦のようなごく親しい間柄のやり取りならあり得るかもしれないが、六年前ただ一度きり会っただけの相手に対する最初の手紙では、一般常識を持った人間なら決してこうは書かないだろう。
 当然、「母がこないだからまた加減が悪く」と書くべきで、太宰の持論のように、いくら貴族が天真爛漫だとしても余りにも常識のなさ過ぎる主人公ではないか。
 これが志賀の指摘するところの一例であろうが他にもまだある。

 【「かず子や、お母さまがいまなにをなさつてゐるか、あててごらん。」】と主人公の母が主人公に話しかける件があるが、これこそまさに、母親が自分に対して「なにをなさつているか」と尊敬語を使っているという文法上の大きな間違いである。
 これは正しくは「なにをしているかあててごらん。」であり、雰囲気を出したいなら「なにをしているかあててごらんなさい。」であろう。

 もし太宰が、「このなんとも無邪気な母の冗談口であるということを表わすために敢えてこう言わせたのだ」と強弁するならば、志賀の『兎』の中で「お父様はお殺せになれない」と末娘が話す件は、父を尊敬している良家の子女の「話し言葉」として、小説上十分成立するとも言えるだろう。
 第一、「お殺せ」の「お」は自分に付けているのではなく、父に対して付けている尊敬語なのだから、この「お」については文法上必ずしもおかしいとは言い切れない。

 更に『斜陽』を鵜の目鷹の目で粗捜しすれば、主人公かず子の【こりやお母様に見られて、まづかつたかなと思つた。】というようなぞんざいな男言葉の物言いが唐突に出てきたり、「お」で言えば、【お床の上にお座りになつて】はまだしも、【お母さま!お顔色がお悪いわ】と三回も重ね使いされると不自然を通り越して珍妙ですらある。
 確かに志賀が読み進められなかった気持ちも判るような気がする。
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