第9話 第一の欺瞞『如是我聞』【1】

文字数 1,084文字

【1】

 昭和十七年三月に発表された志賀の『シンガポール陥落』を、太宰はその六年後『如是我聞』で取り上げ、戦中と戦後の志賀の変節の象徴として激しく非難している。

 しかし、志賀の『シンガポール陥落』が、太宰が批判したような軍国主義に染まった一文であるとは言い切れないように私には読めるし、太宰がそれに先駆けて昭和十六年に発表していた、日米開戦当日の市中の様子を描いた『十二月八日』や、昭和十九年に発表した『散華』と読み比べれば、はたして太宰が、志賀を批判できる立場にあるのだろうか、という疑問が湧いてくる。

 そればかりか、私は次第に、「太宰は自らの保身のため、あえて『シンガポール陥落』を取り上げ、志賀に対する人格攻撃を行ったのではないか?」と思い至るようになったのである。

 そこで次に、志賀の『シンガポール陥落』と、太宰の『十二月八日』を比較検討することで、太宰と志賀の戦中の姿勢について考察してみたい。

 まず、志賀の『シンガポール陥落』を全文引用する。

【日米会談で遠い所を飛行機で急行した来栖大使の到着を待たず、大統領が七面鳥を喰ひに田舎に出かけるといふ記事を読み、その無礼に業を煮やしたのはつい此間の事だ。日米戦はば一時間以内に宣戦を布告するだらうといふチャーチルの威嚇宣伝に腹を立てたのもつい此間の事だ。それが僅かの間に今日の有様になつた。世界で一人でも此通りを予言した者があつたらうか。人智を超えた歴史の此急転回は実に古今未曾有の事である。
 米国では敗因を日本の実力を過小評価した為めだと云ふ。然し米国のいふ日本の実力とは何を云ふのだらう。彼は未だに己の経済力を頼つて、膨大な軍備予算を世界に誇示し、日本を威嚇するつもりでゐるが、精神力に於いて自国が如何に貧しいかを殆ど問題にしてゐないのは日本人からすればまことに不思議な気がする。
 日本軍が精神的に、又技術的に嶄然優れてゐる事は、開戦以来、日本人自身すら驚いてゐるが、日々応接にいとまなき戦果のうちには天佑によるものも数ある事を知ると、吾々は謙譲な気持ちにならないではゐられない。天吾れと共に在り、といふ信念は吾々を一層謙譲にする。
 一億一心は期せずして実現した。今の日本に親英米などといふ思想はあり得ない。吾々はお互いに謙譲な気持ちを持ち続け、国内よく和して、光輝ある戦果を少しでも穢すような事があつてはならない。天に見はなされた不遜なる米英がよき見せしめである。
 若い人々に希望の生まれた事も実に喜ばしい。吾々の気持ちは明るく、非常に落ちついて来た。
謹んで英霊に額づく。】
(岩波書店 志賀直哉全集 第七巻)
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