第72話 第三の欺瞞『虚飾の傑作』【9】

文字数 931文字

【9】

  このように太宰は「古い道徳」を、「世間のおとな」と「戦前・戦中」という外因に求めた。
 しかし、太田静子にとっての「古い道徳」は、自分の中の内面にあったのだ。
 それを解く鍵は「女大学」である。

【「ひとたび嫁ぎてかへらざるは(さだま)れる(ことわり)なり」この女大学の言葉は、封建的というより、もっと深い、内面的な女の生理にきざしを持つ言葉である。(中略)「(おさな)より身を終わるまで、わがまゝに事を行ふべからず。」私は、女大学の(おしえ)を、そらんじていた。それなのに静子は夫の家を出なければならない。「(およそ)女子を愛し過して、(ほしいまま)に育てぬれば」】

 太田静子の『斜陽日記』は、彼女の精神的成長の記録であるのだ。
 父から「女大学」についての教育を受け、その思想を理解しそらんじていた彼女が、夫と離婚し子供まで死なせてしまうことに対する自責と葛藤、そしてそれらの過去を胸に抱きながら、今度は妻子ある作家との恋に陥る自分の現状と心の有り様を自ら見つめれば、それは自分にとって、「革命」という言葉でしか表現出来ないものであっただろう。

 そのような、太田静子の精神的成長の記録である日記から、太宰は、文章や文体はそのまま使用しながらもその内省的な内容は削除するか改変してしまい、静子の内面にある「古い道徳」や「革命」を、「世間のおとな」という外的要因に結び付けて説明しようとしているところに、前述の部分の不自然さの要因があるのだろうと私は推論している。

 太宰は、『斜陽日記』から、太田静子と「女大学」との関連の部分は採用しなかった。
 だから、太田静子の内省的葛藤は『斜陽』には描かれなかった。
 したがって『斜陽』の主人公かず子には、そうした内省的葛藤はないし、かず子の言うところの、かず子にとっての「革命」とは何であるのかが全く不明なのだ。
 そこに『斜陽』のちぐはぐさの要因があるのだと私は考えている。

 簡単に言えば、太田静子は『斜陽日記』において、過去を乗り越え現在の自己を見つめ直しているのに対し、太宰は『斜陽』において、「大人が悪い。戦前戦中の考えが悪い」と言っているのだけなのである。
 結果的に、太田静子の言う「革命」と太宰の言う「革命」は、『斜陽』において似て非なるものになってしまったのだ。
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