第42話  第二の欺瞞『韜晦の仮面』【6】

文字数 1,559文字

【6】

 先に引用した、【自分が加害者でありながら被害者になる技術】という言葉であるが、太宰の場合は、「自分が加害者でありながら被害者になってしまう幼児性」と言い換えることができるのだろう。
 それはまさに、「図らずもなってしまう」のであって、それは決して意図的ではないし、ましてや「技術」ではないのだ。
 だから尚一層始末が悪い。
 意図的な創作上の「技術」ならば、まだ救いようも救われようもあるだろうが、太宰の場合は創作のみならず、実生活でも「自分が加害者でありながら被害者になってしまう幼児性」が、「無意識」に発揮されてしまうかのようだ。
 そして、その「無意識の幼児性」が、太宰と社会の関係性や彼の生き方を決定づけたのだとも考えられる。

 太宰の文学は、彼のその「無意識の幼児性」がベースになったものであり、虚実が綯いまぜになった極めて主観的なものであることを、美知子は冷静に分析している――。

【太宰は事実の記録を書いているのではない。自己中心に、いわば身勝手な主観を書いているので、虚構や誇張がはなはだしく織り交ぜられていることを、特殊な戦時下の体験であるためあらためて痛感する。】(同)

 この文中の【いわば身勝手な主観を書いているので、虚構や誇張がはなはだしく織り交ぜられている】という言葉は、そのまま『如是我聞』にあてはまる言葉であろう。

 太宰一流の誇張と虚構は作品の中だけでなく、実生活においても遺憾なく発揮されていたようだ。そのような逸話を美知子はこのように書いている。

【下連雀の爆撃以降、太宰はこの家のことを「半壊だ」と言う。今まで気にかかるので何度も念を押して聞いたが「半壊だ」としか言わない。ところがいま眼前のわが家は、そして入って見廻したところは、大した変わりもないように見える。私はなんのことやらわからなくなって「これで半壊ですか」と言った。太宰は知らぬふりをし、小山さんはうす笑いを浮かべて、その表情で…… だまされていればいいのですよ、と私に語っていた。】(同)

 太宰は、作品のみならず実生活においても日常的に、「身勝手な主観」や「虚構と誇張」を繰り広げているのである。
 一般人なら、ただの「嘘」で終わるのだが、太宰ならば「虚構と誇張」という小説の種になり公に発表されてしまう。
 しかし、太宰のその、「無意識」に発揮される「誇張と虚構」や「自分が加害者でありながら被害者になってしまう幼児性」が、実は、太宰の文学を「無垢なもの」としているのであり、多くの読者を惹き付けて止まない魅力の源泉なのだと私は考えている。
 それは生涯の彼の作品に共通するものであり、原体験によって太宰の皮膚感覚に無意識に刷り込まれたものであるから、迷いはなく或る意味力強い。

 太宰文学の最大の魅力は、その根底に流れる「無垢」であり、その巧まざる「純粋性」は、根深い「幼児性」によるもので、一面それは彼の作家としての技巧を上回っているかもしれない。

 太宰がどんな悲惨なことを書いても、彼の作品にある種の「品」が感じられるのは、その、「作り物ではない無垢さ」によるものなのだろう。
 だからこそ、太宰文学は誰にも真似ができないし、多くの読者を惹き付けるのであはないのか。
(なぜなら、普通の人間なら年齢を重なればそれなりの世渡りを身につけた汚れた大人になってしまうからだ)

 そういった意味では、太宰の文学は、「ドン・キホーテの文学」ないし「ピーターパンの文学」だといえるのかも知れない。
 通常の人間にとっては何でもないことや何とも思わないことであってもセンシティブな太宰の心は震え、彼の心の中には恐怖感すら広がっているのではないか。
 そう考えれば、風車を巨人とみなして突撃していくドン・キホーテは、太宰の姿に重なるところもある――。
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