第98話 エピローグ2023【4】
文字数 1,136文字
【4】
以下は、この手記の第三部『虚飾の傑作』の冒頭に記した文章だ。
*
【こひしい人の子を生み、育てる事】は、古来、恋に生きた数多くの女性が通って来た道であり、それは女性の本能でもあって、初めから「古い道徳」など超越したものだと思うからだ。
第一、いつの時代も「古い道徳」は存在し、そしてその「古い道徳」はいつの時代も繰り返されて来たではないか。
太宰に逆に聞いてみたいのだが、「古い道徳」に対する「新しい道徳」などいったいどこにあるというのだろう。
太宰にとっての「新しい道徳」とはいったい何なのだろう。
そして、かず子に【こひしい人の子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。】と言わせている太宰自身が、実際に自分と太田静子の間に起きた「そのこと」を、喜んでいるように私にはとても思えないのだ。
『斜陽』に描かれた、かず子の台詞を何度読んでも、新しい命を授かった女性の本能的な喜びというようなものが迫ってこない。
新しい命の芽生えに対して『古い道徳を平気で無視して』とか『道徳革命の完成』などともったいぶった理屈の意味づけをしなければいけないところに、太宰の弱さと狡さがあるように思えてならないし、そこに「古い道徳」に縛られている太宰が見え隠れしている。
*
そして……、「太宰に逆に聞いてみたい」と言った私に対して、太宰はもう既に『おさん』のなかで答えてくれていたのだった。
【その女のひとは、夫の以前の勤め先の、神田の雑誌社の二十八歳の女記者で、私が青森に疎開していたあいだに、この家へ泊りに来たりしていたそうで、姙娠 か何とか、まあ、たったそれくらいの事で、革命だの何だのと大騒ぎして、そうして、死ぬなんて、私は夫をつくづく、だめな人だと思いました。
革命は、ひとが楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。夫はどうしてその女のひとを、もっと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう。地獄の思いの恋などは、ご当人の苦しさも格別でしょうが、だいいち、はためいわくです。
気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、それさえ出来たら、何のむずかしい問題もない筈です。自分の妻に対する気持一つ変える事が出来ず、革命の十字架もすさまじいと、三人の子供を連れて、夫の死骸を引取りに諏訪へ行く汽車の中で、悲しみとか怒りとかいう思いよりも、呆あきれかえった馬鹿々々しさに身悶みもだえしました。】
二十歳の頃には、まったく頭の隅にさえ残らなかったこの文章を、還暦を過ぎた今となって読み返した私は、我が意を得たりと膝を叩き「太宰、よくぞ言った!」と素直に太宰に拍手を送りたくなった。
以下は、この手記の第三部『虚飾の傑作』の冒頭に記した文章だ。
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【こひしい人の子を生み、育てる事】は、古来、恋に生きた数多くの女性が通って来た道であり、それは女性の本能でもあって、初めから「古い道徳」など超越したものだと思うからだ。
第一、いつの時代も「古い道徳」は存在し、そしてその「古い道徳」はいつの時代も繰り返されて来たではないか。
太宰に逆に聞いてみたいのだが、「古い道徳」に対する「新しい道徳」などいったいどこにあるというのだろう。
太宰にとっての「新しい道徳」とはいったい何なのだろう。
そして、かず子に【こひしい人の子を生み、育てる事が、私の道徳革命の完成なのでございます。】と言わせている太宰自身が、実際に自分と太田静子の間に起きた「そのこと」を、喜んでいるように私にはとても思えないのだ。
『斜陽』に描かれた、かず子の台詞を何度読んでも、新しい命を授かった女性の本能的な喜びというようなものが迫ってこない。
新しい命の芽生えに対して『古い道徳を平気で無視して』とか『道徳革命の完成』などともったいぶった理屈の意味づけをしなければいけないところに、太宰の弱さと狡さがあるように思えてならないし、そこに「古い道徳」に縛られている太宰が見え隠れしている。
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そして……、「太宰に逆に聞いてみたい」と言った私に対して、太宰はもう既に『おさん』のなかで答えてくれていたのだった。
【その女のひとは、夫の以前の勤め先の、神田の雑誌社の二十八歳の女記者で、私が青森に疎開していたあいだに、この家へ泊りに来たりしていたそうで、
革命は、ひとが楽に生きるために行うものです。悲壮な顔の革命家を、私は信用いたしません。夫はどうしてその女のひとを、もっと公然とたのしく愛して、妻の私までたのしくなるように愛してやる事が出来なかったのでしょう。地獄の思いの恋などは、ご当人の苦しさも格別でしょうが、だいいち、はためいわくです。
気の持ち方を、軽くくるりと変えるのが真の革命で、それさえ出来たら、何のむずかしい問題もない筈です。自分の妻に対する気持一つ変える事が出来ず、革命の十字架もすさまじいと、三人の子供を連れて、夫の死骸を引取りに諏訪へ行く汽車の中で、悲しみとか怒りとかいう思いよりも、呆あきれかえった馬鹿々々しさに身悶みもだえしました。】
二十歳の頃には、まったく頭の隅にさえ残らなかったこの文章を、還暦を過ぎた今となって読み返した私は、我が意を得たりと膝を叩き「太宰、よくぞ言った!」と素直に太宰に拍手を送りたくなった。