第15話 第一の欺瞞『如是我聞』【7】

文字数 1,000文字

【7】

 太宰は、文士徴用されなかった。
 妻美智子はその経緯をこのように書いている。

【徴用のための身体検査を受けた。太宰の胸に聴診器を当てた軍医は即座に免除と決めたそうである。「肺湿潤」という病名であった。助かったという思いと、胸の疾患をはっきり指摘されたことで私は複雑な気持ちであった。】
(津島美智子『回想の太宰治』)

【聴診器を当てた軍医は即座に免除と決めた】という点には、なにやら怪しげな気配も感じられるが、【助かったという思い】は、妻よりも太宰自身が一番感じたことであろう。

 師の井伏鱒二をはじめ他の作家達が、従軍報道班員として外地へ送られたが、太宰は国内に残った。
 その頃の太宰の心境とはどのようなものだったのだろう。
 安堵と共に、ある種の「後ろめたさ」といった気持ちもあったのではないだろうか。

 太宰は戦中にかなりの作品を書いている。
 これには徴用されなかったという物理的な理由もあるだろうが、心情的にはそのような「後ろめたさ」というものが、創作意欲に結びついていたのだろうと推測される。 
 
 三十二歳の働き盛りの作家が「徴兵もされず、書きもせず」ではいられなかった訳で、銃後を守る文士としては、自身の存在証明として書かざるを得なかったのだろうが、戦時中に精力的に執筆した作品の中で、太宰は図らずも軍部に迎合したような「言わずもがなのこと」を書いてしまったように私には思えるのだ。

 これらの事柄から、「戦時中の戦争協力姿勢」や「戦中と戦後の変節」について、太宰に志賀を批判する資格など全くないことは明白であろう。
 しかし太宰は、志賀の人物と、その『シンガポール陥落』という短文を指して、

【かういふ作家は、いはゆる軍人精神みたいなものに満たされてゐるやうである。手加減しないとさつき言つたが、さすがに、この作家の「シンガポール陥落」の全文章をここに揚げるにしのびない。阿呆の文章である。東條でさへ、こんな無神経なことは書くまい。】

 と書き、ただ一方的に非難した。

 太宰は、批判相手の批判対象の作品を掲載することなく、(後で一部を引用してみせるのだが)志賀に対して意図的に「軍人精神」とか「東條」という言葉を被せることによって、志賀自身とその『シンガポール陥落』をあたかも「戦争協力」「軍国主義」の象徴のように読者に錯覚させるような書き方をしているが、それは明らかに読者に対する太宰の欺瞞である。
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