第89話 終章『最期の逆説』【4】

文字数 788文字

【4】

 そうしたことを念頭に置き、太宰の『十五年間』の、あの文言を訳してみれば、

【私の今夢想する境涯は、「社会や人に対して懐疑的な姿勢」を基調とし、その倫理の儀表を天皇に置き、我等の生活は自給自足の「無政府主義的」風の桃源である。】

 となるのであろうし、これを現代風に端的に表現するとすれば、「原始共同体天皇制」とでも言うのだろうか。
 しかし、行政府を持たない社会が天皇制を維持できるはずもなく、ヒエラルキー(階級制度)を否定した自給自足の共同体にとって、天皇はどのような位置に存在すると言うのか?
 かくの如く、太宰の言は支離滅裂なのであるが、しかし、

「社会や人に対して懐疑的な姿勢を持ちながら、無政府主義的な自給自足の生活共同体」

 を本気で目指していた人物が存在していた。それは前述したレフ・ニコラエビッチ・トルストイである――。

 太宰がトルストイの影響を受けていたという確証は無い。
 そのように論じている著作も目にしたことはない。
 しかし、トルストイの前半生を俯瞰すれば、太宰のそれと非常に似通ったものであることが見てとれる。

 伯爵家に生まれながら、幼少期に母と父を相次いで亡くし、祖母や叔母たちに養育され、大学に進みながら遊興放蕩の末に大学を中退し、その時期にルソーの作品に耽溺し文学に目覚めた――。
 若き日の太宰が、これを知っていたら「自分と同じだ……」と思ったことだろう。
 
 私は、トルストイの『幼年時代』と『少年時代』を読みながら、それらの作品に、太宰の『思ひ出』を重ね合わせていた。
 『幼年時代』よりも『少年時代』の方が、より『思ひ出』の感覚に近い感じがした。内容も、その感性も大変似通っているのである。

 私は『幼年時代』と『少年時代』を読みながら、太宰が『思ひ出』を構想した契機となった背景には、このトルストイの二つの作品のがあるのではないか、と感じていた。
 
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