第62話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【26】
文字数 1,314文字
【26】
葛西はそこで、田山花袋の人物と作品をしたたかに批判しているのだが、その筆致はあくまで冷静であり簡潔で的確である。
例えば、
【言論の上だけで妥協しないと言っても、根本の生活そのものが妥協の上に成り立って居るのでは、仕方がないではないか。出発点が、また行程が、普通の所謂生活条件と妥協と言っては悪いが、よく適応出来るように出来て居る人が、言論の上だけであまり激しいことを言うのは、言われるほうから見れば、二重の痛さである。】
という一節などは、肉を切らせて骨を断つかのような切れ味である。
一年間続けられたその評論は、葛西の文学論が余すところなく書かれており、評論、文学論として非常に読み応えのあるものだ。
文学者の仕事として、太宰の『如是我聞』は、葛西の『小感』の足元にも及ばないのである。
そこに葛西の強さと太宰の弱さが表れている。
何度か引用してきた『作家の態度』だが、その中で佐々木基一が太宰の本質を突くような発言をしており、私はそれに非常に共感を持った。
【志賀
太宰君のポーズは、弱い所から来てるね。
佐々木
ええ。
志賀
まともにいくよか、ちょっと横道へ身を避けていないと、不安だというような……。
佐々木
ええ。それと非常に見栄坊のところが……。
志賀
だから、当人とすればそのことにも言い訳があるかも知れないけどね、しかし読まされるのほうは、愉快でないからね。
佐々木
わざとやっているのではないのでしょう、きっと。
いわばああいう逆説的なスタイルやポーズを取ることによってしか、レアリティを出すことが出来ない。
つまり、正攻法で押して行けるだけの自我の実体が希薄になっているという時代的宿命を負った作家のような気がします。
しかしあれで、太宰はだんだんまともな行き方を取りつつあるように思われます。】
(志賀直哉・佐々木基一・中村真一郎「作家の態度」岩波書店『志賀直哉全集第十四巻』)
佐々木の言う、
【正攻法で押して行けるだけの自我の実体が希薄になっているという時代的宿命を負った作家】
という太宰評は的確なものだろうし、
【しかしあれで、太宰はだんだんまともな行き方を取りつつあるように思われます。】
という見方もあながち見当はずれではないと思われる。
太宰が『ヴィヨンの妻』(昭和二十二年)に書いた、
【人非人でもいいぢやないの。私たちは、生きてゐさえすればいいのよ】
という言葉は、おそらく太宰が自分自身に発した「救いの言葉」なのであろうが、彼は、作家として新たな境地を模索しながらも、道半ばで死を選んでしまった。
太宰は、『十五年間』の中で日本文壇のサロン思想を批判し、それが二年後『如是我聞』となって爆発するのだが、今となっては「作品の甘さ」については、太宰の文学も十分にサロン的だ。
「家庭のエゴイズム」を否定し「炉辺の幸福が怖い」と言った太宰だが、彼の死は、彼が否定した「そのようなものども」に押し潰された挙句の死だったのではないのか。
太宰の自死が、世間から「太宰は己の苦悩と芸術に殉じた」とみなされていること自体、本人が望むと望まざるとに関わらず「サロン的な死」と言えるのではないのか――。
葛西はそこで、田山花袋の人物と作品をしたたかに批判しているのだが、その筆致はあくまで冷静であり簡潔で的確である。
例えば、
【言論の上だけで妥協しないと言っても、根本の生活そのものが妥協の上に成り立って居るのでは、仕方がないではないか。出発点が、また行程が、普通の所謂生活条件と妥協と言っては悪いが、よく適応出来るように出来て居る人が、言論の上だけであまり激しいことを言うのは、言われるほうから見れば、二重の痛さである。】
という一節などは、肉を切らせて骨を断つかのような切れ味である。
一年間続けられたその評論は、葛西の文学論が余すところなく書かれており、評論、文学論として非常に読み応えのあるものだ。
文学者の仕事として、太宰の『如是我聞』は、葛西の『小感』の足元にも及ばないのである。
そこに葛西の強さと太宰の弱さが表れている。
何度か引用してきた『作家の態度』だが、その中で佐々木基一が太宰の本質を突くような発言をしており、私はそれに非常に共感を持った。
【志賀
太宰君のポーズは、弱い所から来てるね。
佐々木
ええ。
志賀
まともにいくよか、ちょっと横道へ身を避けていないと、不安だというような……。
佐々木
ええ。それと非常に見栄坊のところが……。
志賀
だから、当人とすればそのことにも言い訳があるかも知れないけどね、しかし読まされるのほうは、愉快でないからね。
佐々木
わざとやっているのではないのでしょう、きっと。
いわばああいう逆説的なスタイルやポーズを取ることによってしか、レアリティを出すことが出来ない。
つまり、正攻法で押して行けるだけの自我の実体が希薄になっているという時代的宿命を負った作家のような気がします。
しかしあれで、太宰はだんだんまともな行き方を取りつつあるように思われます。】
(志賀直哉・佐々木基一・中村真一郎「作家の態度」岩波書店『志賀直哉全集第十四巻』)
佐々木の言う、
【正攻法で押して行けるだけの自我の実体が希薄になっているという時代的宿命を負った作家】
という太宰評は的確なものだろうし、
【しかしあれで、太宰はだんだんまともな行き方を取りつつあるように思われます。】
という見方もあながち見当はずれではないと思われる。
太宰が『ヴィヨンの妻』(昭和二十二年)に書いた、
【人非人でもいいぢやないの。私たちは、生きてゐさえすればいいのよ】
という言葉は、おそらく太宰が自分自身に発した「救いの言葉」なのであろうが、彼は、作家として新たな境地を模索しながらも、道半ばで死を選んでしまった。
太宰は、『十五年間』の中で日本文壇のサロン思想を批判し、それが二年後『如是我聞』となって爆発するのだが、今となっては「作品の甘さ」については、太宰の文学も十分にサロン的だ。
「家庭のエゴイズム」を否定し「炉辺の幸福が怖い」と言った太宰だが、彼の死は、彼が否定した「そのようなものども」に押し潰された挙句の死だったのではないのか。
太宰の自死が、世間から「太宰は己の苦悩と芸術に殉じた」とみなされていること自体、本人が望むと望まざるとに関わらず「サロン的な死」と言えるのではないのか――。