第12話 第一の欺瞞『如是我聞』【4】

文字数 1,551文字

【4】

 太宰が戦中に発表した作品の多くが、軍部の検閲を受けて一部変更や削除されたりしているが、私がここで着目したいのは、戦中に発表した作品が、戦後になって大幅に修正されて再刊されている点だ。
 そのことは、『筑摩書房 太宰治全集(昭和四十九年初版第六刷)第七巻』の「後記」に明示されている。 

 例えば、戦中、内閣情報局と文学報国会の委嘱を受けて書き下ろし、昭和二十年九月に刊行された『惜別』は、戦後改定再版されているが、その昭和二十二年四月に再版されたものは、四百字詰原稿用紙三十枚分にも及ぶ、大幅な削除がなされているのである。

 前掲の「後記」では、これについて次のように指摘している。

【戦後二十二年四月、講談社より改定再刊さる。本全集の校訂は初版本に()り、再刊本を参照した。再刊に際して改定された箇所は極めて多く、原稿用紙四百字詰原稿用紙にして三十枚以上の分量が削除されている。】
 
 それに従って、『惜別』の削除箇所について主なものを拾いだすと、

【これではまるで支那の独立保全のために日本に戦争してもらつてゐるやうにも見えて、】

【大和魂の本質は、義気だからね。】

 などの軍国的表現の文章の他に、中盤の、

【しかし、それは後の話で、】から【以前のやうに私の下宿に遊びに来る事もほとんど無くなつた。】 

 迄の原稿用紙二十六枚に及ぶ大幅なものがある。
 この大幅に削除された箇所には「日露戦争」「明治維新」「天皇家と天皇親政」「日中文化の相違」などの事柄が書かれており、分量のみならずその内容は、戦中に書かれた本来の『惜別』という作品にとってかなり重要な部分だと思われる。

 そしてそこには、「戦争協力をしなかった稀有な作家太宰」という定説が信じられなくなるような、まさに目を疑いたくなるような文章が並んでいる。

 それらは、まるで戦時中の軍部のプロパガンダそのもののように読めるが、書いているのは、「戦争協力しなかった稀有な作家」と称されている太宰治その人である。

 【戦ひは、これだから絶対に勝たねばならぬ。戦況ひとたび不利になれば、朋友相信じる事さへ困難になるのだ。民衆の心理といふものは元来そんなに頼りないものなのだ。小にしては国民の日常論理の動揺を防ぎ、大にしては藤野先生の所謂「東洋本来の道義」発揚のためにも、戦いには、どんな犠牲を払つても、必ず勝たねばならぬ、とその夜しみじみ思つた。】

【「日本には国体の実力というものがある。」と周さんは溜息をついて言つてゐた。これはいかにも平凡な発見のやうではあるが、しかし、私はこの貧しい手記の中に最も力をこめて特筆大書して置きたいやうな、何だか、そんな気がしてならないのである。】

【日本国をしてまさに崩壊の危機到らしめた間一髪に於いて、遠い祖先の思想の研究家たちは、一斉に立つて、救国の大道を示した。曰く、国体の自覚、天皇親政である。天祖はじめて基をひらき、神代を経て、神武天皇その統を伝へ、万世一系の皇室が儼乎として日本を治め給ふ神国の真の姿の自覚こそ、明治維新の原動力になつたのである。】

【「それでは、あなたは日本には西洋科学以上のものがあると言ふのですね」「もちろんです。日本人のあなたが、そんな事をおつしやるのは情けない」】

 太宰が戦後、自作から消し去ったこれらの文章と、志賀の『シンガポール陥落』の中にある、

【米国では敗因を日本の実力を過小評価した為めだと云ふ。然し米国のいふ日本の実力とは何を云ふのだらう。彼は未だに己の経済力を頼つて、膨大な軍備予算を世界に誇示し、日本を威嚇するつもりでゐるが、精神力に於いて自国が如何に貧しいかを殆ど問題にしてゐないのは日本人からすればまことに不思議な気がする。】

 という文章と、どこに違いがあるというのだろうか。
 
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