第39話 第二の欺瞞『韜晦の仮面』【3】

文字数 802文字

【3】

【父はどこかで、義のために遊んでゐ。地獄の思ひ出で遊んでゐる。いのちを賭けて遊んでゐる】

 とは、『父』の中の有名な一節だが、晩年の太宰の作品を改めて読んでみると、その精神構造が、企業戦士のサラリーマンと非常に似通っていることに気付かされる。
 しかし、そんな気負った年頃の仕事とは、志賀の言うところの、

【若くて死んだうまい絵描きの絵を見ていると、みんな実にうまいとは思うが、描いてあるのはどれも此方側だけで、見えない裏側が描けていない】

 というような仕事だったのだろうと私は思うのだ。

 口幅ったい言い方になるが、若くして死んだ芥川や太宰の作品を今読み直してみると「しぶとさ」や「開き直り」が感じられないし、そして何より「滋味」が足りないと思うのだ。
 「鋭さ」は若さの最大の武器なのだろうが、「愚鈍さ」は老年の最大の武器である。
 鋭敏さや繊細さだけが芸術の要素ではないはずだし、決してそれは「滋味」を醸し出すものではない。

 志賀は『八手の花』を書いた同じ年に『耄碌』という随筆を書いている。
 これを読むと「老い」という人間の悲しみ、そして「妙味」がしみじみと感じられるが、太宰はそのような「耄碌」の「滋味」を知らずに旅立ってしまった人間である。
 そして、太宰は、志賀のように【俺は小説を書く為めに生まれてきたんじゃない】とは到底思えない人間だった。
 おそらく太宰は、「俺は小説を書くために生まれてきた人間だ」という意識しか持っていなかっただろう。

 志賀は、

【私は所謂小説らしい小説を書きたいとは思わないが、仮にそう思ったとしても、その為に自分が嫌いになった人事のイザコザを見たり聞いたりする気にはならない。】

 と開き直ったが、太宰の場合は、『所謂小説らしい小説を書きたいと思い、そのために自分の首を絞めるほどの人事のイザコザを起こしてその中心人物となり、その挙句死んでしまった』とも言えるのだろう――。
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